チベット・がらくた。

晴れ。
ポタラ宮やノルブリンカなどから持ってきた名品の後で、こんなものを出すのは面映ゆいが、今まであちこちで求めたものを、幾つか載せよう。
チベット仏教美術ならぬ、チベット仏教がらくた、として見てください。
マンダラ、タンカの類は、主にカトマンドゥで、仏具の類は、ボダナートで、お面の類は、あちこちで、求めたものである。
インドで起こった仏教が、チベットに伝わるのは、7世紀、吐蕃王国の王・ソンツェンガンポの頃。その妃に、大文明国・唐から文成公主を、ネパールからティツム妃、という二人の姫を求めた時からという。二人の妃は、新しい文明と共に、仏教の教えもチベットにもたらした。
その後、さまざまな曲折はあるようだが、今のようなチベット仏教、チベット密教が成り立つのは、10世紀か11世紀頃からだと言われる。インドから直接、後期密教の教えが入ってから。
それ故、9世紀初めに、中国(唐)を通じて密教の教えが伝わった、空海や最澄の真言、天台の日本の密教(初期、中期密教)とは、同じ密教といっても、そのありさま、少し異なる。
一般にマンダラ(曼荼羅)と呼ばれている仏画や仏像も、その意味するところも、表わされた形も、ずいずん違う。日本の密教も、独自な展開をしたが、チベット密教も、独自な発展をし、ネパール、ブータン、ラダック、モンゴル、へと伝播、チベット仏教圏を形作った。そして、チベット仏教独特の、チベット仏教美術を生みだした。
チベット仏教美術なんていうと、面映ゆい以前に、不遜であるが、まあ、チベット仏教がらくた、として幾つか載せる。
まず、マンダラとかタンカ、と呼ばれているものから。


私の手許に、今は、種智院大学の学長となっている密教学者の頼富本宏が、1988年にNHKの市民大学で講義をした、「密教とマンダラ」のテキストがある。20年も経ってよれよれになっているが、週1回の講義、何度かは聞いた記憶はある。講義の内容は、忘れたが。
頼富は、「マンダラとは何か」、という回で、<マンダとは、中心とか、心髄という意味を持ち、ラは、円満をいう。つまり、マンダラという合成語は、”心髄を円満するもの”、換言すれば、”エッセンスを持つもの”となる>、と述べている。
また、マンダラの特徴として、”広がりを持った空間”、”複数性”、”中心を持つ”、”調和性”、ということを言っている。
まあ、そういうものなんだろうが、それはさておき、上のマンダラというかタンカは、10数年前、カトマンドゥのタンカ屋で求めたもの。この類のものは20数点持っているが、その中では、最も大きく、緻密に描かれている。絵自体の天地は、80数センチある。
もちろん、古いものではなく、今出来のものである。だが、言値は、私の許容を超えるものだった。さんざん粘ったが、さほど下がらなかった。でも、たしかに、いい作品、一晩ホテルで考え、翌日、買いに行った。値は下がらなかったが。
なお、タンカとは、このような仏画を、チベット風の軸装にしたものを指すので、厳密にいえば、タンカにする為の仏画、というのが正しいのだろう。私は、すべてタンカと呼んでいるが。

その作品の上の方の拡大。カメラも腕もよくないので、よく写っていないが、実物は、線描も色遣いも、繊細で素晴らしいものである。

緑ターラー、と言われるタンカ。これも、私が持っているものの中では、美しい作品。

その拡大図。
緑ターラーは、衆生を苦しみから救う、という意を持つ。また、”仏陀の三生の母(ターラー・タントラ)”という名誉も与えられている、という。

白ターラー、と言われるもの。
求めたものは、ほとんど額装にしているが、何点かは、軸装にしている。これは、その一点。チベット風のタンカの軸装でなく、日本の軸装であるが。

その拡大図。少し、小さくなったが。
白ターラーも、緑ターラー同様、慈悲の菩薩。平和、繁栄、長寿、健康、そして、幸運をもたらす、と言われる。

この4点と次の4点は、3年前、北京のノミの市で求めたもの。
だだっ広い会場に、チベットの古物を扱う店があった。いずれも小さく、同じように見えるが、天地8センチから12センチぐらいまで、すべて大きさが違う。
小さいながら、よく描きこまれており、年代も、今出来でなく、少しある感じである。

端が、少し破れていたり、左上のものは、虫食いの跡もあるが、面白い。

忿怒面。大きい、天地が、30数センチある。
これは、30年以上前、日本で求めたもの。今はどうか知らないが、当時、年末のボーナスが出た後の時期、池袋の西武で骨董市が開かれていた。そこそこの値が付いていたが、私もボーナスが出た後、これを見た時、即断、すぐ買った。
よくは解からないが、100年は超えるだろう。元々は、赤い色が施されていたのだろうが、そのあとが、薄っすらと残っている。

10数年前、ボダナートの骨董屋で見つけた小さな忿怒面。天地、8センチほど。
鼻の頭や眉毛など、あちこち欠けているが、土の上に彩色した、趣のある面である。

これは、インドで求めた。20年ぐらい前、ニューデリーのチベット関係の本を扱っている店で、見かけたもの。本棚の上の方に、これが掛っていた。天地、12〜3センチの小さなお面だが、青黒く光って見え、存在感があった。
店の男に、あれは売り物か、と聞くと、そうだ、という。じゃあチョット見せてくれないか、と言うと、見せてくれない。あれはいいものなんだ、高いんだ、という。見せてくれない。どうも、私の風体を見て、そう言っているようだった。よれよれのクルタを着て歩いていたので、お前なんかに見せられるか、と言われても、仕方ないのであるが。
だが、粘って、取ってもらった。古くはない。が、素晴らしい出来ばえである。木製の上に彩色が施されている。その色も素晴らしい。たしかに、高かった。しかも、言値から一銭もまけなかった。どうせ、お前なんかに、と最後まで思われていたな。今、私の机の前に掛けてある。
調べてみると、これは、仏法を守護する護法神・マハーカーラー(大黒天)といわれるもののようだ。チベットの忿怒尊の中でも、最も人気の高いものだという。

梵文(お経)。上下木製の扉の間に、チベット文字のお経が挟まれている。

金剛鈴。

マニ車。
左は、動物の骨で作られ、右は、薄い銅製。それぞれ中に、ぎっしりと巻いたお経が入っている。チベットの人は、これをグルグルと回しながら歩いている。いずれも、実用品として、使われていたもの。

石で作られた、ツァツァの型。
ツァツァとは、粘土を押しあて、それを焼いた、せん(土偏に専)仏のことで、これは、そのいわばメス型。石製のものは、珍しい。
写真に撮ったら、中の仏さまが浮き出ているように見えるが、実際には、凹んでいる。

携帯用の仏龕。高さ、7〜8センチとコンパクト。
薄い銅で作られているが、あちこち擦り切れ、デコボコで、実際に使われていた実用品である。
これらの仏具の類は、何回か行った、ボダナートのチベット人のジイさんがやっていた、小さな古道具で求めたもの。しかし、去年このジイさんの店を探したが、なかった。周りの人に聞いたら、ポカラの方に行った、と言っていた。私は、カトマンドゥにしか行かないので、少し寂しい。
それはさておき、私が持つもの、美術品とはほど遠い、がらくたばかりだが、それでも、楽しい。