主従二人・番外編(嵐山的焙り出し)。

雨。
6月末、「主従二人」と題し、芭蕉と曾良の追っかけ記を書き始めた時、教科書は、岩波文庫の『おくのほそ道』、副読本は、山本健吉訳・解説の『奥の細道』、そして、嵐山光三郎の『芭蕉紀行』を参考書にして、と書いた。
山本の書に教えられること多かったのは、当然だが、嵐山の書は、それと共に、たいへん面白かった。だが、子供の頃から芭蕉の追っかけをしていた、という嵐山には、より面白い芭蕉本がある。『悪党芭蕉』である。
”俳諧興行”、”歌仙の巻き方、きまり”、”句合”、など、勉強になることも多いが、それよりも、芭蕉その人を、嵐山光三郎が焙り出す芭蕉の人物像が面白い。類書にはないものだろう。芭蕉は、こういう男だった、とさまざまな面から推量、断定している。研究者では、できないことだ。
芥川龍之介と正岡子規の芭蕉批判から、書き出される。そして、<芭蕉をけなすことは覚悟がいる。・・・しかし、子規と芥川には、「芭蕉は悪党である」という直感があった。それはなぜか>、と記す。いくつか嵐山の文章を引くと、
<漂白願望と俳諧興行がむすびついたところに、芭蕉の面目がある。其角が言うところの俳諧商人であって、・・・文芸で生活する者ははすべて大山師的な性格の持ち主であって・・・>
<芭蕉は挨拶句の達人で、幾多の知人門人にむかって誉めたたえる句を作ってきた>
<こういうときの芭蕉は激しい。芭蕉が大見得を切って、いささか感情的になったことは、のち凡兆が反旗をひるがえすことの伏線となった>
<『奥のほそ道』の旅を終えた四十七歳の芭蕉は、「自分がなにをめざすか」がわからずにいらだっている。「不易流行」は、自己矛盾を正当化させる理論武装であった>
<芭蕉の周囲は危険人物だらけである。にもかかわらず、俳聖としてあがめられ、・・・芭蕉を「求道の人」「枯淡の人」「侘び寂びの俳人」としている。・・・>
<芭蕉は、才覚ある者を好んだ。金銭を持つパトロンを大切にした。あとは医者と藩士を好んだ。・・・才ある弟子が自分を裏切ることに芭蕉は気がついていない>
<俳諧は危険な文学である。罪人すれすれのところに成立した。・・・芭蕉は危険領域の頂に君臨する宗匠であって、旅するだけの風雅人ではない>
<芭蕉没後、弟子たちが四分五裂したからこそ、最終的に芭蕉が残ったのである>
こんなことをやっていると、今日のブログ、嵐山の引用ばかりになっちゃうな。いや、嵐山の言っていることが面白いから、仕方ない。
この書の解説を、村松友視が書いているが、村松も、<この作品のテイストには、純文学的求心性とエンターテインメント的遠心力、それに”学ぶ”ことの面白さが充満している>、と言っている。その通りなんだ。だから、引用ばかりになってしまった。
なお、この人間芭蕉を焙り出した、嵐山の『悪党芭蕉』、3年前、2006年に、第34回泉鏡花文学賞と第58回読売文学賞(評論、伝記部門)を受賞している。
たしかに、深い知識に裏打ちされた面白さなんだから、ダブル受賞も当然だ。