モノクロームの力強さ。

曇り、のち雨。
一部のこだわり派を除き、写真といえばカラーが当たり前となっている今、モノクロームの写真を見ると、力強さを感じる。
恵比寿の東京都写真美術館へ、セバスチャン・サルガドの「アフリカ」展、そして、「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソン」展を見に行った。共に、モノクローム。

1970年代後半から、世界のフォト・ジャーナリズムをリードしてきたというサルガドの、白と黒の世界は、力強く、美しかった。
アフリカは、人類発祥の地。しかし、暗黒大陸と長く呼ばれ、ヨーロッパ列強の植民地とされ、独立後は、数々の部族間紛争による内戦、干ばつによる飢餓、エイズやマラリアの蔓延、そして、貧困、今なお多くの問題を抱えている。
そのアフリカで、ここ30年ほどの間に、サルガドが撮った100点ほどの作品が展示されている。
1944年ブラジル生れのサルガド、軍事政権下の祖国を離れ、パリ大学で農業経済を学び、アフリカとの関わりも、1971年にエコノミストとして、ルワンダの農業発展プロジェクトに参加したところから、とのこと。写真家になったのは、その数年後、とのこと。
写真美術館のニュース誌「eyes」で、サルガドは、こう言っている。
「アフリカは、言語や風習が異なる民族が暮らしていますが、元来、友好的な種族が多く、豊かな文化を育む大陸でした。しかし、植民地時代から現代を経てその様相は激変したのです」、と。
その象徴的なものが、ルワンダだ。彼は、ルワンダには、4回訪れている。
最初は、エコノミストとして訪れた1971年。2度目は、1991年、写真家として光輝く茶畑の中の少年などを撮っている。目を見開いたこの少年の目、その黒目と白目、我々モンゴロイドの5〜6倍はありそうで、とても美しい。
3度目は、あの1994年のフツ族とツチ族の間での大量虐殺、100万人が殺されたとも言われるジェノサイドの後。「この時のルワンダは、人間の為せる業とは思えぬ、凄惨を極めた状況でした」、と語っている。
そういえばこの年、ニューヨークのラジオシティーで、ジャネット・ジャクソンのコンサートを観た私は、ジャネットが、ルワンダへ飛ばす救援機に10ドル寄付したことを、思い出す。
それはともかく、4度目は、新プロジェクト「GENESIS(起源)」、を立ち上げた2005年。ゴリラの保護地域を訪れている。「人間の歴史が転換していく一方で、何千年も前から変わらない豊かな自然・・・」、と言っている。
60代半ばになったサルガドのテーマ、自然回帰しているようにも思える。「アフリカは、最も美しい大陸」、とも言っている。今回の展覧会のポスターに使われている写真も、2006年にスーダン南部で撮られた、放牧キャンプの写真。墨絵のように美しい。
しかし、前記した「eyes」では、「そして今また、アフリカの資源獲得を目論んだ各国間で、新たな利権を巡る抗争が生れている」、とも語っている。
サルガドは、名指ししてはいないが、近年のアフリカでの、中国のなりふり構わぬ資源外交など、まさにこれであろう。ダルフールの問題などは、その元凶の一端、中国にある、と私は考えている。それを止められぬ、アメリカはじめ他の国々もなさけないが。
それはさておき、美を追求する写真家であり、状況を発信するジャーナリストでもあるサルガド、そこから表われたる白と黒の世界。これは、力強く、とても美しい。
モノクローム、白と黒の世界、改めて、そう思う。
共に20世紀初頭の生れの、木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソンの展覧は、もちろんモノクローム。共に、カメラは、ライカだ。
サルガドの力強いモノクロームの後で観ると、モノクロームではあるのだが、何故か、白と黒ではなく、セピアに見えた。
ごく自然な一瞬を切り取った木村の作品に較べ、若い頃シュールリアリズムに興味を持っていたというブレッソンの作品には、やや作為という感を抱いたが。
しかし、おそらく、浅草の仲見世で撮ったと思われる、木村の永井荷風のスナップや、ブレッソンのセーヌ河岸でのサルトルのスナップ、楽しかった。
私は、ここの会員にもなっている。シルバー会員、年会費1000円。安い。ただし、同じ都立であっても、現代美術館とは、そのシステムは少し違う。
現代美術館は、会員になればすべて無料だが、写真美術館の方は、収蔵展は無料だが、企画展は、2割引き。それでも安いが、会員はそういない模様。
5〜6年前だったか、都知事の石原慎太郎が、都の美術館の夜間の開館時間を短縮する折り、「たった1000円の金を取る為に、7〜8000円のコストがかかっている。これじゃ、やってられない」、と言っていた。たしかに、そうであろう。木場の現代美術館を見ていると、そうである。
慎太郎は、とんでもないことも言う男であるが、自身、絵を描く男でもあり、美術に関しては、思い入れのある男である。その男がそう言う。仕方ないな、と私は思っている。来ている人数からいって。
だが、今日の都の写真美術館、木村とブレッソン展は始まったばかりだが、サルガド展は会期末、また、土曜ということもあり、人は多かった。
慎太郎、まだまだ見捨てたものじゃないぞ、日本人も。開館時間、ルーヴルやオルセー、ポンピドーほどにしろとは言わないが。