晩秋の東博。

曇り。
3日前、3時過ぎに東博へ行った時には、本館裏の庭園公開に間にあった。
春秋のみの庭園公開、秋は、11月一杯で終わる。4時の閉門まで、庭に入る。3日前のブログに付け足そうと思ったのだが、眠くなったので止めた。改めて、それを載せよう。
晩秋の東博、正式には、東京国立博物館だが、一般には東博、の様子を。もちろん、博物館の中は撮影できないので、外の様子であるが。
まず、間にあった庭園の様子から。国立博物館といっても、そう広い庭園ではないが。

東博本館裏、木々が池に影を落とす。池の面には、鴨(だと思う)が、遊んでいる。

この木々の色彩や配置、コローの絵にあったような気がする。

庭内には、幾つかの茶室や由緒ある古い建物が、移築されているが、これは、そのひとつの”転合庵”。
小堀遠州が、桂宮から茶入「於大名」を賜った折り、その披露のために、京都伏見の六地蔵に建てた茶室。その後、大原の寂光院に移築され、昭和38年、その茶入とともに、東博に寄贈されたもの、とのこと。

この茶室は、”六窓庵”。
慶安年間(17世紀中頃)、奈良の興福寺慈眼院に建てられたもので、現在奈良国立博物館にある”八窓庵”などとともに、大和の三茶室といわれたもの、とのこと。
明治8年に博物館が購入、解体輸送中に、伊豆で舟が難破したが、幸いにも、材は流失をまぬがれて、明治10年、東博に移築された、とある。
第二次大戦中は、再び解体疎開したが、昭和22年、数寄屋の名工・木村清兵衛により、現在の位置に再建された、という。
茶室というものには、いずれのものにも、曰く因縁があるものだ。

庭園内のあちこち、草の間に間に落ち葉が散り敷き、美しい。スーラの点描画を思わせる。

庭園から出た4時頃の、本館前のユリノキ。
幹の径、2メートルはあろうという、東博の名物ともなっている木。
作業ズボンをはいたオジさんが、周りの人に話していた。このユリノキは、120〜130年前、アメリカから来た種から生えたそうだ。デカクなる木だそうだ。
今では、東博でも、灰皿のあるところは少なくなった。本館近くでは、このユリノキのある正面左の道のみである。だから、いつもここで、このユリノキを見ながら、タバコを吸う。この日も、そうした。

そのユリノキの根元には、黄褐色に変色したユリノキの落ち葉が、多く落ちている。
作業ズボンのオジさんの話によると、種がいっぱい落ちている、とのこと。探したら、たしかに、いっぱい見つかった。柔らかな羽のようなものに、種が付いている。私も、3つ拾った。
作業ズボンのオジさんは、3年続けて実生しているが、発芽しない、と言っていた。来年は、何とか発芽させたい、と言っていたが、このオジさん、どうも、博物館の展示を観に来ているのではなく、ユリノキの種を拾いに、東博に来ているようだ。
それも、また良し。博物館の利用法など、その人その人によって異なっていいんだ。このオジさんから、さまざま勉強させてもらった。


帰途、夜8時前のユリノキ。
背景は、ライトアップされた本館。

やはり8時前、いつも企画展が行われる平成館の方から見た表慶館。
暗闇の中、正面のみがライトアップされており、そこだけが白く、ボーと浮かんでいる。が、あまりにも暗いので、少し手を加えた。
私は、国立博物館の会員にもなっている。東博ばかりでなく、奈良や京都の国立博物館にも、通用する。
20年ぐらい前、初めて友の会の会員になった時、今とはシステムが少し違っていたが、会員証をもらったオバさんが言った言葉を思い出す。
「あなた、企画展は限度があるが、常設展はいつ来てもフリーパスですから、あなた、毎日来てください」、と言った。「ハハ、そうしましょう」、と応えた。
もちろん、仕事を持っている身、そんなことなど、できるはずもないことだが、それでも、東博には、よく行った。20年ばかりじゃなく、この50年ばかり。