朝・毎・読。

晴れ。
長い間、朝・毎・読、ちょう・まい・よみ、と称せられていた。
日本の全国紙としては、この3紙に日経、産経を加えた5紙があるが、日経と産経は少し色合いが異なり、朝・毎・読の3紙がひとくくりで語られることが、多かった。
販売部数でいえば、読売、朝日、毎日の順番となるが、ちょう・まい・よみ、という語呂が良かったこともあろう。実際には、1000万部の読売、800万部の朝日、に対し、400万を切り、380万部の毎日は、大きく水をあけられ、2強1弱、という状態であったが。
その毎日新聞が、来年4月から、58年ぶりに、共同通信に再加盟するという。これで、共同通信の加盟社でない新聞は、読売と朝日の2社だけ(日経、産経は、加盟社)となる。
今、日本ばかりでなく、世界中の新聞社の経営状況は、とても厳しい。新聞のみならず、雑誌も含め、文字媒体自体が、苦しい。電波媒体ばかりでなく、ネット媒体の出現が大きい。文字媒体が、徐々に読まれなくなった。
それに加えて、購読料と共に、収益の大きな柱である広告収入が、どんどん落ち込んでいる。特に、広告収入の落ち込みは、この1,2年は、顕著であろう。
各新聞社は、媒体資料と称するものを持っている。購読者の属性、つまり、地域分布、年齢分布、職業分布、世帯収入、学歴、等々のこと、つまり、購読者の購買力が窺われることが、載っている。
もちろん、スペース毎の広告値段も書いてある。が、これは、建値で、実施値は、これとは異なる。実施値は、業界、業種ばかりでなく、各クライアント企業の使用スペース、使用頻度、年間使用段数、などによりさまざまである。
毎日は、この点でも、朝日、読売に大きく水をあけられている。厳しい状況だったと思う。でも、自社独自の取材体制は残すにしろ、共同配信にも託す、という今回の苦渋の選択、全国紙の看板を下ろす、というイメージもあり、私には、やはり、寂しい。
新聞社は、新聞の発行ばかりでなく、さまざまな事業を行っている。出版やカルチャーセンターといったものばかりでなく、さまざまなことをやっている。
昨日行った「皇室の名宝」展も、読売と日経が後援していたし、帰りに、公園の中にテントが幾つも建っているので見たら、幟に「にっぽんグルメフェア」、主催・読売新聞東京本社、後援・東京都、と書いてあった。こんなことまで、やっているんだ。新聞社は。
毎日も頑張っていた。今では、大きな事業モデルとなった、通信を通じた事業を始めたのも、3大紙の中では、毎日が最初ではなかったか。私の知る限りでは、あまり上手くはいかなかったようだが。
また、中堅、中小企業の経営者を組織した一種の異業種交流会も、新聞社のものとしては、特異なものだった。
個性的な経営者である堀場製作所の社長を呼んだり、岩波の社長が変わった時には、その新社長を呼んだり、時の政府の諮問委員をしている大学教授を呼んだり、また、官僚の枠をはみ出して飛び出し、ファンドを立ち上げたなんて人がいれば、その人を呼んだり、といった講演の後には、サンドイッチとおつまみだけで、その時の講演者と毎日の記者もまじえ、ビールを飲みながら、話を交わす。
私の現役時代の、楽しい想い出のひとつ、となっている。
そのことばかりでなく、竹橋のパレスサイドビル、毎日のビルには、よく行った。大手町の読売や、築地の朝日にも行ったが、古臭い毎日のビルが、一番好きだった。築地の朝日など、個人的には好きな人もいたが、冷たい感じを受けた。だから、毎日の人が、最も親しみがあった。
毎日の共同通信への再加盟を知り、それまでの関係を断ち、隠遁、隠棲の時を過ごす身であるが、なんだか、少しシンミリとした。
しかし、昨日の朝日朝刊一面の「毎日新聞、地方紙連合入り」、との見出しは、いかになんでも、ないだろう。
事実としては、そうである。しかし、仲間じゃないか。競ってはいても、力の差は開いていても、朝・毎・読、3大紙、と言われていた仲間じゃないか。それを、地方紙連合入り、とは何たる言い草だ。
朝日には、「惻隠の情」という言葉はないのか。そう思う。