企業維持。

晴れ。
都内のホテルで、私が長年勤めていた企業の、創立40周年のパーティーが行われ、日をまたいで今、帰宅した。
永年会社を率いていた前社長から、次世代の新社長への、事業継承も発表された。会社のOB代表として、挨拶をした。たいへん嬉しい。感無量である、と。
従業員総数100人弱の中小企業である。私は、その企業に、創立3年の時から、3年半前に引退するまで、33年半勤めた。業績好調の時期もあったが、厳しい時期もあった。会社を守る為、当時の正社員の約3割にあたる人に辞めてもらったこともある。
故あり、私がサラリーマンとなったのは、31歳の時であった。でも、どうしたわけか、ある時、私のような愚鈍な男が役員になった。20年近く、サラリーマン経営者を務めた。非常に厳しくなった時期、3割の正社員に辞めてもらったのも、私が主導した。会社を守る為、断行した。考え得る施策、行うるべき方策、すべてとった後、企業維持の為、最後に残った決断であった。
中には、私が仲人を務めた男も含まれていた。法廷闘争に持ち込む、という人もいた。すべて受けて立つ、という心づもりで断行した。企業維持の為に。だが、今でも、心痛む。時折り、反芻する。でも、企業は、存続させなければならない。心は痛むが、オレがやったこと、間違いではない、と思っている。
それだからこそ、今、40周年を迎えることが、殊のほか嬉しい。企業が生き延び、継承されていくことに。
全従業員100人弱の中小企業とはいえ、その家族、そして、主要取引先の従業員を含めると、約6〜700人の人たちに責任を持つ。厳しい日常ではあったが、厳しければ厳しいほど、充実した日常でもあった。それ故、40周年を迎えたのが、感無量、嬉しい思いがいっぱいだ。
挨拶の最後に、新社長と同世代の若い社員に、檄をとばした。さらに、創立50周年のパーティーにも出席できることを、楽しみにしている、とも言った。客観的に自らを見て、あと10年後、私が生きているかどうかは、はなはだ疑問である。
しかし、私の命はさておき、企業は、継続することが、第一命題。さらに、発展し、長く継続されることを願うこと、切なるものがある。
飲みすぎた頭ではあるが、今、そう思う。