天皇即位20年。

曇り。
今上天皇が即位されて満20年。さまざまな祝賀行事が行われた。
午前中、宮中、松の間では、天皇、皇后両陛下が、皇太子、秋篠宮ご夫妻はじめ皇族方からの、お祝いを受けられた。
午後、政府主催の「天皇陛下御即位20年記念式典」が、国立劇場で行われた。
首相の鳩山はじめ三権の長、日本駐在の外国大使の代表、それに、国民の代表として選ばれた人たちが、即位20年を寿ぐ祝辞を述べた。国民代表として選ばれた、壇上に並んだ9人の中には、パラリンピックで活躍した人、沖縄ひめゆりの塔を守っておられる人、陛下と同年生れという池内淳子さん、平成元年生れで北京オリンピックのメダリストの柔道女子選手、などと共に、アフガニスタンで井戸を掘っているペシャワール会の医師・中村哲も含まれていた。
パラリンピックといい、ひめゆりといい、ペシャワール会といい、政府は、両陛下のお心を推し量った人選をしたな、と感じた。
開式の辞に、菅直人が出てきたのには、一瞬、アレッ、と思った。が、そうか菅は副総理だったんだからな、と思い、そう言えば、立法府の長、衆院議長の横路孝弘も参院議長の江田五月も、考えれば、菅どころではない、親の代からの社会党、学生運動の闘士だったんだ、政権が変わったことというより、時代が流れたな、と思った。
夕方からは、「天皇陛下御即位20年国民祭典」が、皇居前広場で行われた。
こちらの主催は、日商会頭の岡村正が会長を務める「天皇陛下御即位20年奉祝委員会」と森喜郎が音頭をとる国会議員の会。多くの著名人が、招待されていた。王や野村、キンちゃん・萩本欣一の顔もあった。麻生、福田、安倍の顔もあった。彼ら3人、世が世なら、オレが昼の催しも仕切っていたんだが、という思いがあったろう。
荒川静香、高橋尚子、原辰徳、森光子が、祝辞を述べた。高橋と森は、国民栄誉賞の受賞者。荒川や原も含め、この人たちは、今の国民的人気者ということであろう。一昨日亡くなった森繁さんが、もしお元気ならば、せめて5年前ぐらいならば、やはり国民的人物として、他の人とは趣の異なる、軽妙にして深い祝辞を述べたであろうな、と思いながら見る。
6時半ごろ、天皇、皇后のお二人が、二重橋の上にお出ましになる。気温が下がっている為、天皇は、黒いコートを着ておられる。皇后さまは、白い優美なローブをまとわれていた。
昼の式典での奉祝の音楽は、、シューベルトのピアノ三重奏曲と、皇后の美智子さまが作曲された「星の王子の」という曲を含む童謡だったが、夜の祭典では、下帯一本で和太鼓を叩くおんでこ座の演奏や、今、若者人気絶大だというEXILEが踊って歌う奉祝曲「太陽の国」。
両陛下、伝統的な和太鼓をメーンに据えた、おんでこ座の演奏は、テレビを通してでも、ご覧になられたことはあるかもしれないが、EXILEのダンスと歌などは、おそらく、初めてご覧になったことだろう。でも、昼の式典でも、夜の祭典でも、音楽をお聴きになる時のお二人は、とても楽しそうに見受けられた。この時だけは、お二人顔を寄せて言葉を交わしておられた。
ところで、今日の即位20周年の日に先立ち、天皇、皇后のお二人は、今月6日、記者会見をされている。その内容、今日報じられた。
4つの質問に対し、かなり長いお応えをされている。とても真摯に、そのお心の内を語っておられる。
まず、憲法に触れられる。「象徴」についてだ。こう述べられている。
「私はこの20年、長い天皇の歴史に思いを致し、国民の上を思い、象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ、今日まで過ごしてきました」、と語られ、次いで、ベルリンの壁の崩壊に触れられる。
「平成の20年間を振り返ってまず頭に浮かぶのは、平成元年、89年のベルリンの壁の崩壊に始まる世界の動きです」、と。
だが、しかし、その後の世界、残念ながら、平和への方向には進んでいない、と大きな懸念を述べられている。9.11のニューヨークでのテロ、イラクやアフガン、さらには、パキスタンで多くの人命が失われている、と。
会見の中、こうも述べられている。日本の将来に何かご心配は、との質問に対するお応えで。少し長くなるが、そのお応えを引く。
「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が、忘れられていくのではないか、ということです。昭和の60有余年は、私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備えることが大切と思います」、と語られている。
天皇のお言葉、まさにその通りだと、畏れ多くも、私は思う。
今まで私は、テレビの画面を通して、天皇、皇后、両陛下の映像を多く見てきた。その中で、私が、一番感動する映像は、両陛下が、サイパンで、バンザイ・クリフに向かって、深々と頭をたれる映像である。今日も、その映像は、流された。
サイパンは、日本の信託統治領だった島、軍人ばかりでなく、一般の日本人が大勢いた。大戦末期、その人たちが、アメリカ軍に追いつめられ、断崖の上から海に向かって飛び降りて、死んだ。男のみならず、多くの女も子供も。「天皇陛下、バンザイ」、と叫びながら。それが、バンザイ・クリフだ。
実は、私も、もうずいぶん昔だが、バンザイ・クリフに行ったことがある。昭和47年(1972年)、今から数えれば、37年前になる。戦争が終わり、30年近く経ってはいたが、その頃のサイパンは、島の中に、まだ旧日本軍の戦車の残骸なども放置されていた。バンザイ・クリフの話も聞き、その断崖へも行き、涙した思いがある。
しかし、昭和天皇の果たされなかったことごとを、すべて受け継ぐ、という強い意志をお持ちの今上天皇のお心は、そんなものではない。平和への思いは、そんなものではない。誰にもまして強い。
だからこそ、過去の歴史が忘れられていくことを、心配されている。歴史的事実をよく知ってくれ、と願われている。
今日、さまざまな行事があったが、日本人すべて、天皇陛下のお言葉、お心を、よく噛みしめるべきじゃないか。