人の評価、立場による。

雨。
実は、昨日のブログには、日本時間の昨日未明に行われた、ベルリンでの壁崩壊20周年の記念式典がらみのことを書こうかな、と思っていた。その模様が、昼ごろ報じられたので。
しかし、夜のニュースで、森繁さんの訃報を知った為、急遽、森繁さんへの私なりの思いを記した。ベルリンのことは、後回しにした。
自身、東独出身のメルケルは、式典の演説で、「ベルリンの壁の崩壊は、旧ソ連の国内改革や、西側民主諸国の勝利としてではなく、旧東ドイツの民主化運動、指導者たちの勝利だ」、と語ったという。それに対し、記念式典に出席した英仏ロの3首脳は、その挨拶の中で、壁の崩壊には、自国が寄与した、ということを、暗に潜ませていたようだ。メルケルの方が、一枚上だ。
それはともかく、記念式典の目玉は、ベルリンの壁を模して作られた、発砲スチロール製の1000個のドミノ倒し。ポツダム広場から式典会場のブランデンブルク門の前まで、約1.5キロに渉るドミノ倒し。その最初のひと押しの栄を与えられたのは、ポーランドのレフ・ワレサ。ポーランドの元大統領というより、元自主管理労組「連帯」の委員長といった方が、通りがいい。
しかし、このことも、昨日、式典がらみで書こう、と思っていた理由ではない。
昨日の昼、ネットで配信されている記事を見ていたら、そのワレサが、やはり式典に参加しているゴルバチョフについて、「彼は、共産主義崩壊も、壁の崩壊も望まなかった。ウソがまかり通っている」、という発言をしていることを知ったからである。
たしかに、ゴルバチョフは、共産主義体制の崩壊を予測はできなかった。ソ連共産党の書記長として、望まなかった、というより、考えらえなかった、と言う方が正確だろう。ペレストロイカで、体制内の改革を目指していたのだから。あの1991年8月の軍と保守派によるクーデターが起こるまでは。
壁の崩壊に関しても、ワレサの言っていることは、少し違う。やはり、昨日の配信記事の中に、グルジアのシュワルナゼの発言があった。シュワルナゼは、20年前の11月当時は、ソ連の外相であり、ソ連崩壊後は、出身国のグルジアの大統領になった男。なかなか理性的な男だと私は思っている。
シュワルナゼは、こう言っている。「あの日の2日前、ベルリンから、不穏な空気がある、との報告が入った。私は、ゴルバチョフと相談し、ベルリン駐留ソ連軍の司令官に、動くな、との指令を出した。もし、駐留ソ連軍が動けば、第三次世界大戦になる恐れもある、と考えた」、と言っている。当時、東ドイツには、36万人のソ連軍が駐留していた、という。
シュワルナゼとゴルバチョフの判断は、正しいというべきだろう。壁の崩壊を阻止することを、止めたんだ。結果としては。だから、ワレサが言う「望まなかった。ウソがまかり通っている」、というゴルバチョフに対するきつい発言は、少し感情に走りすぎている、と私は思う。
しかし、不思議だ。ワレサもゴルバチョフも、西側では、両人共、とても人気の高い男である。ワレサは、東欧民主化の旗手として、ゴルバチョフは、冷戦終結に寄与した男として。それだからこそ、二人ともノーベル平和賞を授与されている。ワレサの方が、先に受けているが。この様子だと、1990年にゴルバチョフが、ノーベル賞に選ばれた時、ワレサは、何でアイツが、と思ったんだろうな。
それにしても、ゴルバチョフほど、国により、立場により、その評価の違う男は、少ないな。
西側の国々での評価、人気は、すこぶる高い。レーガンにしろブッシュ(もちろん、親父さんの方のブッシュ。どうしようもない息子の方ではない。念の為)にしろ、サッチャーにしろ、コールにしろ、皆ゴルバチョフとは話ができる、と思っていた。今回も、1週間ほど前には、パパ・ブッシュやコールとも、旧交を温めている。
だが、ワレサのような反発ばかりでなく、旧ソ連、ロシアでもゴルバチョフは、まったく不人気、とんでもない男となっている。西側に魂を売り渡した男、ソ連という強国を壊した男、とも言われている。右の連中からも、左の連中からも、叩かれている。
私は、多くのロシアのオジさんたちと違って、ゴルバチョフを評価しているが。冷戦構造を終わらせた男として。その後のアメリカ単独行動主義の罪の部分には、参ったが。だが、これは、ブッシュ・ジュニアの資質の問題だとして、諦めている。
人の評価、その立ち位置によって、さまざまだ。