お言葉。

曇り後雨。
昨日の閣僚懇談会での、岡田克也の発言が、今日に至り波紋を広げている。
自民党幹事長の大島理森や、民主党参院議院運営委員長の西岡武夫ばかりでなく、アセアン会議でタイに行っている鳩山由紀夫も、不適切な発言、と批判しているし、宮内庁長官の羽毛田は、戸惑っている、と述べている。
岡田の発言は、国会開会式での天皇陛下の「お言葉」について、「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、いろいろ難しいことはある。しかし、陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただくような工夫はできないか、考えてもらいたい」、というもののようだ。
天皇の国会開会式での「お言葉」は、国事行為に準じる公的行為。宮内庁での点検を経て、閣議で決定されるものだという。
天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。その「お言葉」は、憲法で厳しく縛られている。政治的な意味合いを持つものは、天皇ご自身が、厳しく律せられている。
憲法を逸脱しないことを、最も強く心に留められている日本人は、天皇ご自身だ、と私は思っている。岡田の発言こそ、逸脱の恐れを含んでいる。国会開会式での「お言葉」は、必ずなんらかの、政治的影響を与える恐れが出てくる、と思う故である。
岡田は、イオングループの御曹司であるにも拘わらず、清廉な男である。しかし、この問題に限らず、その発言に少し軽いところがある。もう少し、腹の中で発酵させた言葉を発するようにすべきだ。閣僚としては。
日本国の天皇は、英国の女王とは違う。日本の皇室ほど典雅な王室はないだろう、と私は思っている。海外の王室のことなど、よくは知らないが。
4〜5年前の映画に『クイーン』という、そのものズバリの題名のイギリス映画があった。トニー・ブレアが首相になり、ダイアナがパリで事故死した当時のイギリス王室内部が、描かれていた。エリザベス女王はじめ王室の面々の言動、酷いものだった。少し驚いた。其処らへんの一般庶民と、まったく同じじゃないか、と。だが、そうだろうな、とも思った。スキャンダルの類には、事欠かない英国王室だものな、と。
しかし、日本の皇室はまったく違う。憲法の縛り、ということも確かにあるが。それ以前に、不遜な言い方ではあるが、人格が違う。特に、天皇、皇后お二人の。このお二人ほど、典雅、優美なお方は、他国の王家にはいないだろう。
近年は聞かないが、以前、この地上に残る最後の王と女王は、トランプのキングとクイーン、そして、英国の王または女王だ、と言われていたが、それは違う。英国のキングやクイーンは、いなくなる可能性がある。最後に残るのは、日本の天皇だけだ。4枚のトランプを除いては。私は、そう思う。
それはともかく、「お言葉」に戻る。
島田雅彦に『おことば』という著作がある。副題に、「戦後皇室語録」と付いている、平成17年発行の本。島田自身、あとがきでチラッと触れているが、恐らく少し訳ありで作ったもの、と思われるところもあるが、私には。
巻頭、「親愛なる陛下、殿下へ」、という島田の献辞がある。
その中に、<民の心を汲むのが君主の務めであるならば、君主のお心を理解するのは民の義務であると心得ます>、という記述があり、さらに、<陛下、殿下が私どもに与えられている自由と権利をともに享受される日が来ることを心からお祈り申し上げます>、とも書いている。若い頃、『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュウした島田自身、揺れてんだが。
天皇ばかりでなく、皇族の方々のお言葉がいっぱい取り上げられているが、やはり、興味深いのは、昭和天皇と明仁天皇(今上天皇)のお言葉である。
その中から、幾つかのお言葉を記そう、と思っていたが、大分長くなったので、また、眠くもなったので、それはやめる。より知りたいお方は、新潮社発行の本なので、お読みいただきたいが。
ただ、短いお言葉をひとつだけ引く。岡田の発言とも、関わりがあることなので。
平成16年10月の園遊会での、将棋の元名人・米長邦雄とのやりとり。「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」、との米長の発言にたいする今上天皇のお言葉。「やはり、強制になるということではないことが望ましい」、と返された。
”私がこれほど国のことを考えているのに、米長、お前は何ということを言うのか”、というお気持ちだったろう。ご自身を律することこの上ない今上天皇のお言葉だ。
岡田の発言も、米長の発言とは、その意味合いは異なるが、天皇にとっては同様の発言。不適切。私は、そう思う。