義侠心、プラス、ロマン、・・・かな?

曇り、一時晴れ。
昨日、近所の学校の図書館で見た「中央公論」、久しぶりに手にとったが、ずいぶん変わっていた。やけに口当たりのいい感じに。
中央公論社の経営が厳しくなり、読売グループの傘下に入ったのは、10年ぐらい前。今や、発行は中央公論新社。完全に読売の雑誌だ。
創業家の社長・嶋中鵬二が亡くなり、窮地に陥った厳しい状況の中、後を継いだ嶋中夫人に手を差しのべたのが、読売、というより、そのドン・渡邊恒雄だった。もちろん、企業であるから、中央公論社の資産価値、再建のシミュレーション、採算予測、投下資本とその回収、などなど、読売社内ではさまざまな検証が為されたであろう。
しかし、それよりも、ナベツネの義侠心、男気による吸収、という印象を持ったな、その時、私は。
苦境に陥っている、老舗の大店を救う、という侠気。さらに、付け加えれば、細腕で奮闘する育ちのいい名家出身の夫人を助けたい、とのナベツネのロマンもあったのじゃないか。義侠心、プラス、ロマン、人情もの仕立ての芝居にすれば、歌舞伎の和事に仕立てれば、そうなる。
ナベツネは、こう思ったんじゃないか。今のオレの考え、立ち位置とは、違うが、オレも若い頃は、中公の記事から勉強をさせてもらったし、その論調からの影響も受けた、中公を潰しちゃならない、救わねば、と。
読売社内では、なんで読売が、その対極にある中公を助けなきゃならないんだ、との反対意見も多くあったろう。しかも、おそらく百数十億の投資、いかに大読売といえども、少ない金額、軽々に出せる金ではないはずの額だったろうから。
それを、ナベツネは、オレがやると言ったらやるんだ、と力で抑えつけたんじゃないかな。おそらく。
一度だけだが、ナベツネを見かけたことがある。10年以上前だったか大分前、どこの主催だったか思い出さないが、帝国ホテルだったかオークラだったかでの大きな会場のパーティーで。大勢の人が来ていたが、少し先の方にナベツネがいた。ああ、ナベツネも来てるのか、と思ったが、巷間よく言われているナベツネのイメージ、傲岸不遜な男には見えなかった。やや背の低い、普通の男に見えた。
表紙も記事内容も論調も、完全な読売の雑誌に変身した「中央公論」、その名称も、読売何々とか読売公論とかに、変えた方がいいんじゃないか、という意見もあるようだが、当分はそうはならない、と思う。
男一匹・渡邊恒雄、「オレの目ん玉が黒い内は、そんなこたぁ許さねぇ」、と怒鳴るんじゃないか。
そうでなければ、義侠心、プラス、ロマン、のナベツネのイメージ、私が勝手に思っているにすぎないが、壊れるぞ。傲岸不遜のイメージだけになるぞ。
それにしてもナベツネ、読売新聞の主筆の地位だけは、譲らないな。どこまでも。読売の記者、どれだけ切れる男が出てきたとしても、主筆のポストには就けないんだ。これも、中公の名称同様、ナベツネが死なない限り。面白く、魅力的な男ではある。ナベツネは。
やはり昨日、近所の学校の図書館の”本を読もう”とかのコーナーに、「マリ・クレール」の9月号があった。表紙には、キャメロン・ディアスが、あのなんとも言えない、吸いこむような目つきでポーズをとっている。「『本の世界』へようこそ!」、という特集を組んでいるから、このコーナー、ということのようだ。
この学校の若い学生の皆さん、ラップなどは、ガンガン流しているが、本などはあまり読まないようだから、”本を読もう”というコーナーが必要。それ以前に、本当は、”図書館へ行こう”という貼り紙が必要なのだが。余計なことながら。しかし、私などにも大きな声で挨拶をしてくる男の子が案外いる。だから、好きなんだ、この学校。これも、余計なことだが。
それはそれとして、「マリ・クレール」、この9月号で休刊するとのこと。つまり、日本版の最終号だった。それで、ファッション誌なんだが、本の特集なんてものも組んだのかな、とも思った。どうせ、これで終わりだからって、編集の連中が。
私の知る限り、女性ファッション誌は、欧米の同様な雑誌に較べ、日本のものが、格段にきれいである。その中でも、「マリ・クレール」日本版は、本家・フランスの「マリ・クレール」よりも、紙質もよければ、印刷も上等、写真もきれい、と本家をはるかに凌駕していたシャレた雑誌だった。ファッション誌では、最も好きな雑誌だったな、私は。10年ぐらい前までは、たまに買ってもいた。パリ20区歩き、なんて特集のある時には。ハハハ。
この「マリ・クレール」も、その日本版は、最近の発行元は、婦人画報社とフランスの会社との合弁会社となっているが、初めは中央公論社が発行元だった。シャレたものも出してたんだ、中央公論社は。
ナベツネの思いは、それよりは、「中央公論」誌、そして、嶋中夫人でもあったろうが。