変わらないものだ。

晴れ。
月曜から、毎日誰や彼や会場に詰めかけて、終われば残っている連中で飲みに行く。実際は、搬入日の日曜からその状況。今日は、7人で飲む。
上の世代の人たちのグループから、だんだん人が少なくなっていくので、一緒にやらないか、との誘いがあるのだが、断っている、との話から、テーブルのこちら側の議論やや白熱する。あちら側はまた別の話をしていたが。一緒にやればいいじゃないか、と□□が言う。いや、年代が違いお互いよく知らない。それより、作品の傾向が全く違う、だから断ってるんだ、と○○が言う。
みんな△△などの作品を認めていないようだが、それは違う、と□□。そこで、いきなり□□、だいたいジョロバなんて、あれは単なる自己陶酔じゃないか、と言いだす。ある年、ジョロバに、ラメッセウム南方より望む、というサブタイトルをつけたのはオレだ、と私。
ジョロバなんて、イヤな奴は来なくていいよってな感じで、自己満足に過ぎなかった、と□□。芸術観の違いだ、美の感覚の違いだ、とリタイアしたあと家を改造、アトリエを造り、毎日アトリエで制作を続けている○○は言う。
オレたちの60年代は、ポップアートの時代で、光の時代だったじゃないか、ポップアートを認めないのか□□は、と私は言う。当たり前、ウォーホルなんて単なるコピーじゃないか、あんなの、と□□。コピー云々ということと、芸術云々ということとは、全く違う、感覚が違うんだ□□とは、と○○は言う。
60年代は、日本美術の暗黒の時代だった、と□□が言ったのには、そういう奴もいるのかと驚いたが、日常的に制作を続けている○○の言うとおり、これは美に対する感覚の違いである。
オレは、ギューちゃんが好きなんだが、□□はギューちゃんなんか認めないんだ、と私が言うと、篠原有司男なんてただハデになんかやってただけじゃないか、認めない、と□□。続けて、やはり美しくなければいけないんだ、オレは昔、粟津潔にキミはデッサンがヘタだなって言われたことがあるんだ。だから、はっきり言って、粟津潔の真似をしてたんだオレは、と□□は言う。きれいでなきゃいけないんだよ絵は、と□□。
固定観念に囚われているんだ□□は、どこまで行っても平行線だ、と半世紀近く己の美を追求している○○は言う。ややシニカルな口調で。それぞれ、そう変わらないんだ。何年どころか何十年経っても。
定年になってもまた別会社を作り、一生現役というのもいれば、孫が何人もいて悠々自適、あとは自らの思い描く道をというのもいる。まだ企業の第一線というのもいれば、私のように碌なことは何もしていない、完全な隠棲者もいる。共通点は、みな60代後半のジイさんということ。
それが、昔の仲間というだけで、酒を飲んで、このような訳の解かったような、解からないような議論をする。何十年前の20代のころと同じような。変わらないものなんだ、人間は。
それに加えて、常の日々とは違う、一種、非日常空間に入れるんだ。古い仲間と会う時には。
近所の人と、こんな話しないもの、普段。