年寄りの証。

晴れ。
古い仲間と神田で飲む。
さほど飲んだわけではないが、少し疲れており、電車の中で眠っちゃうおそれがあるので、途中、ドトールでコーヒーを飲み、煙草を少し吸い、目覚まし休憩をする。
隣の席の若いカップルが、小さなゲーム器で何やらやりとりしている。言葉は交わさず、数十センチほどの間隔で。お互い、煙草の箱より少し大きな画面を見つめて。
それはゲームなのか、と聞くと、ゲームだと言う。メッセージも交わすことができるのか、と聞くと、そう、今やっていたのは、既製のものだが、オリジナルのメッセージのやりとりもできる、とのこと。
なかなか感じのいい若者で、音のやりとりもできる、と教えてくれる。じゃあ、電話の代わりにもなるのかな、と言うと、電話とはまた違う、とのこと。今のゲーム器など、よく見たことも、触ったこともないが、複雑怪奇に進化しているんだな、と思う。携帯でさえ、公衆電話代わりにしか使っていない私には。
そのあと、電車に乗ってから、フト思った。若い連中に気軽に声をかけるというのは、年寄りになった証だな、と。若者が、ちゃんと応答してくれるのも、こちらが年寄りだからだな、と。
そう言えば、週に一度通っている近所の学校でも、若い学生たち、初めは変なジイさんがなんで学校に来てるんだ、という顔をしているが、話せば皆丁寧に応えてくれる。今にもズリ落ちそうなズボンを履いた男の子や、下着が見えちゃうぞというような格好をした女の子が。
今の学生連中、可愛いじゃないか、と思っていたが、彼らが気軽に応えてくれるのも、丁寧に応答してくれるのも、こちらが年寄りになったせいなんだ、と思いいたる。年寄りの証なんだ。たしかに。