ふたみにわかれ。

雨。
何十年もの長い間、付き合っている人もいれば、会ったのはほんの僅かしかないのに、心に残る人もいる。
今日、そのような人が2日前に亡くなったことを電話で知った。2度しか会ったことのない人だが、深みを感じる人だった。
昨年末、カトマンドゥの日本料理屋に入った。何度か行った町で、行きつけのチベット料理屋もあったのだが、潰れたのか去年はなかった。で、食事は、何軒かある日本料理屋、というよりも食堂に、変わりばんこに行って食っていた。
その一軒で、二人連れから話かけられた。Hさんという方。男性は日本人、女性はオランダ人。ご夫婦だという。2週間ほどムスタンの山奥でヒマラヤを見てきた、という。暫く話をし、また日本で、ということで、連絡先を交わしてその場は別れた。
その後、メールを交わすようになり、是非お出でを、ということで、北関東のお宅にも伺った。アメリカで長く暮らし、向こうで結婚もし、ずっと向こうで過ごすつもりであったが、父親が亡くなったので、日本で暮らすことになった、とのこと。私より少し若いのだが、半分リタイアの身、とのことで、夫婦仲がとてもいい。
奥さんは、ご亭主のそばで私たちの話をじっときいていて、時折り言葉をはさむ。少し複雑な話は、ご亭主が英語で噛みくだいて奥さんに伝える。友達のような夫婦、同志的な夫婦、という感じを受けた。それ以上に、奥さんが病身、とのことで、ご亭主が奥さんをいたわっている感じがよく解かる。奥さんもご亭主にゆだねている。それが、ごく自然な感じを受ける。
日本人同士の夫婦の場合、なかなかこうはいかない。何も言わなくても、解かってるだろう、お前、ということになる。たいていの夫婦は。
とても奥ゆかしい奥さんであった。以前、日本女性は奥ゆかしい、などと言われたことがあったが、そんなことはない。どこの人であろうと、奥ゆかしい人は奥ゆかしいのである。その人が亡くなった。心に残っている。
メールをやりとりする内、奥さんが癌で、それも治療の難しいものであること。ネパールの山奥に行ったのも、最後にヒマラヤを見るためであったこと。などを知った。春先には、故郷に今一度、ということでオランダへ行き、さらに、夏には、最後にもう一度生れ故郷を見せたいので、医者に話して許可を取った、とオランダに行った。
帰ったら連絡しますから、また来てください、と言っていたのだが、連絡がなく、私も悪化したのじゃないかな、との思いから、連絡が憚られ、連絡をしなかった。そして、今日の電話。3日前のこのブログでも、先輩の死を記したばかりだが、その人も癌だった。
私のまわり、この数カ月、死は日常、といった感がある。『徒然草』に、四季の移り変わりを述べた後、<生老病死の移り来たること、また、これに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず>、との条があるが、たしかに、そうだ。死は、待ってはくれない。
そろそろ、主従二人の大団円、大垣の条を、と思っているのだが、それは、また日を改め、今日は、その最終行のみ記す。つい先ほど電話で知った、心に残る女性の死、そして、そのご夫婦の心情にふさわしい句でもあるので。
     蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
蛤の蓋と身を引き裂くように、親しい愛する人との別れがきた。秋も深まろうとしている時季、寂しさがしみじみと感じられることだな、との意。
320年の時を隔ててはいるが、芭蕉の思いと残されたHさんの心情が、重なる。