変化と矛盾の堆積。

曇り一時晴れ。
天安門前の長安街を、ゆっくりと走るオープンカーに立った胡錦涛が、何か叫んでいる。
なんて言ってるのだろう、と思ったら、「同志のみなさん、ご苦労さま」、と言っていたらしい。沿道の人たちも何か叫び返している。
胡錦涛は、黒い中山服を着ている。後で出てきた天安門上の他の指導者たちは、全てスーツ姿だった。胡錦涛のみが中山服。この特別な日を取り仕切る最高指導者としては、スーツにネクタイという姿ではなく、黒の中山服でなければ、気合いが入らない、と考えた末だろう。
1949年10月1日の毛沢東の建国宣言から60年、国慶節60周年。
60年前の天安門上の毛沢東の映像が出た。横に周恩来や朱徳の顔もあった。皆よれよれの人民服を着ている。もちろん、モノクロ映像。変った。いや、服装やモノクロからカラーへ、という変化ばかりではない。この60年、中国は大きく変化した。私が知るこの20年ばかりでも、ずいぶん変わった。
何もかもみんなぶっ壊してしまった1966年から76年にかけての10年に及ぶ文化大革命、訒小平の登場による改革開放政策、その同じ訒小平が押し潰した1989年の天安門事件、そして、江沢民、胡錦涛、と受け継がれてきた今の形態。10年か20年ごとに、ガラッと変わっている。
特に、訒小平が大きく切り替えた経済政策、経済解放政策は、中国を経済大国へ押しあげた。外貨保有高は、数年前から世界一。GDPは、来年には日本を抜きアメリカに次ぐ世界第2位になるだろう、と言われる。今日発表されたIMFの予測では、日本の来年度の経済成長率は1.7%、中国のそれは9%を維持、というのだから、むべなるべしである。
10年ぶりの軍事パレードには、射程距離1万キロ以上という、迷彩をほどこされた大陸間弾道ミサイル「東風31A」も登場した。アメリカをも射程におさめる、という。軍事大国にもなった。
だが、この間多くの矛盾も堆積した。3ヵ月近く前、ウルムチの暴動の時にもこのブログで触れたが、広がる一方の経済格差、根深く残る民族問題、多くの矛盾が積み重なっている。今日のパレードにも、それは表れている。カラフルな衣装の56の民族の踊り歩く行進、また、天安門前広場に建てられた56本の巨大な柱にも、それは表れている。中国の指導部は、苦心してるんだ。苦慮してるんだ。なんとか、多民族国家を纏めたいと。
ニュース映像で、面白い映像があった。通行規制でお巡りに止められた自転車に乗ったオバさんが、「何で向こうへ行けないんだ、大袈裟なんだよ、まったく」、と言っていた。このような普通の人々も多くいるんだ。それどころか、今日の国家的な大行事を、テレビでさえ見られない人たちも多くいるんだ。今の中国にも。あくまで、私の体験的な感想だが。
矛盾は多い。積み重なっている。胡錦涛は、どうするんだ。毛沢東の時とは違い、赤いカーペットが敷かれた天安門に立った胡錦涛は、こう言った。「社会主義こそが、中国を更に発展させる」、と。胡錦涛は、本当にそう思っているのか、私は疑問に思う。共産党の一党独裁が続けていけると思っているのか、胡錦涛は、本当に。
私が中国へ初めて行ったのは、20年ぐらい前。その後、平均すると3年に一度ほど訪れている。その間でも、ずいぶん変わった。北京の銀座・王府井など、ガラッと変わった。最後に行ったのは2年前、オリンピックの前の年で、北京中、掘っくりかえしていた。街中のあちこち青や緑のシートだらけ。このようなシートだらけの町を見たのは、阪神・淡路の大震災後に行った神戸以外、私は知らない。
それはともかく、今の中国、胡錦涛がいう社会主義国家じゃない。資本主義国家だ。それも、極端な市場主義国家だ。私の体験的実感では、行き過ぎた市場主義国家となっている。おかしいじゃないか。社会主義と言いながら、極端な市場主義、極端な資本主義、大いなる矛盾を孕んでいる。そればかりでなく、さまざまな矛盾が堆積している。今の中国には。
私は、旧満洲で生まれた。中国に対する思い入れは深い。しかし、今の中国、この先、英明なる指導者が現れないかぎり、何十年か後には、崩壊するんじゃないか。私には、そう思えてしかたない。