陸軍vs.海軍。

晴れ。
昨日、半藤一利と阿川弘之、大井篤の鼎談「『昭和天皇独白録』の空白部分」について書くつもりが、『独白録』の思い出のようになってしまった。
「記憶が不鮮明だが、確かこういうものだったなあ」なんて考えているうちに、本筋のことなどコロッと忘れてしまった。
一昨日のブログで、ポツダム宣言が出てから受諾決定までの20日間、何故だ、と記したことについて、鼎談の中にこういうくだりがあったからだ。
それは、阿川「特に終戦と決まってから最後の一週間は、鈴木さんも米内さんも立派でした。断じて動かないものね」、大井「しかし、それより外相の東郷茂徳さんをほめねばいけない」、阿川「大西瀧治郎(軍令部次長)が乗りこんできて東郷さんをおどかしたときの、東郷さんの態度も見事でしたね。ビクともしなかった」、大井「軍部代表でもっとも強硬だった阿南陸相が自刃に際し「米内を斬れ」、と叫んだところを見ると、米内なくしてあの終戦はできなかったのかもしれない、と言えそうな気がします」、との発言があることだ。
鈴木は、海軍出身で終戦時の首相・鈴木貫太郎のことであり、米内は、海軍大臣の米内光政、阿南は、ポツダム宣言受諾発表の8月15日朝、自刃した陸軍大臣の阿南惟幾である。
陸軍は抗戦を唱え、海軍は和平を探る、という構図はよく知られたことであり、最後の決断は昭和天皇が下された、というのもよく知られたことであるが、この20日間、現実は右に左に大きく揺れ動いていたのだ。が、最後は、海軍人脈が押し切ったんだ。大井の「米内なくしてあの終戦はできなかったのかもしれない」、という発言を見ると。
山本五十六を含め、旧大日本帝国陸・海軍の暗闘の歴史を考えると、それぞれ命を賭した軍内部の厳しい闘いは理解できるが、それにしても、あの20日間で失われた膨大な日本臣民の命、ということを考える。
「それより外相の東郷茂徳さんをほめねばいけない」という言葉にも惹かれる。私は碌な知識は持っていないが、以前から何となくこの東郷茂徳という男はたいした男だな、と思っている。知識もないから、ただ何となくとしか言いようがないのだが、ただ何となく。