涙する。

晴れ、夕刻雨。
スポーツ・ニュースを見たら、トップで古橋の死を報じていた。古橋廣之進だ。今日、世界水泳の行われているローマで急死、80歳、と。日本選手が勝った時のメダル・プレゼンターとして行っていたのだろう。現役引退後、日本水泳界のドンとなってからは、さまざま毀誉褒貶があるが、古橋と聞くと、涙する。
1949年(昭和24年)、全米選手権で出場した4種目すべてに世界新記録で優勝し、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、敗戦にうちひしがれていた日本人を元気づけた、とアナウンサーは報じる。
そうだ。しかし、そうではあるが、古橋といえば何よりも、その前年、1948年(昭和23年)の日本選手権であろう。この年、第2次世界大戦後初のオリンピックがロンドンで行われた。
敗戦国の日本とドイツは参加が許されていない(イタリアは、敗戦前にムッソリーニがパルチザンに殺され、連合国側となっていたので参加)。スポーツばかりでなく、あらゆる分野で、世界中から懲罰を受けていた時代である。
オリンピック競泳の400メートルと1500メートルの決勝が行われる同日、同時刻に合わせ、日本選手権の同種目が行われた。神宮プールで。そこでの古橋の優勝タイムは、オリンピック優勝者のタイムをはるかに上回る世界新。もちろん、両種目とも。日本中が涙した。
1948年といえば私はまだ7つ。ラジオはあったと思うが、リアルタイムでその模様を聴いていたのかどうかは、はなはだ疑問。おそらく後でそのことを知り、リアルタイム的「思い」があるのであろう。しかし、今、端末のキーを叩きながらも、涙が出てくる。
湯川秀樹が中間子理論でノーベル賞を受賞したのは、その翌年の1949年。白井義男がダド・マリノを破りボクシングの世界チャンプとなるのは、古橋の神宮から4年後の1952年だ。碌な食い物などなく、古橋はさつまいもを食って世界新を出していたんだ。ダイエットとかカロリー0などという言葉などない時代。思いもしない時代だ。
古橋が出した世界新は33。それも凄いが、そのことよりも、やはり、昭和23年の神宮プール。爪はじきの嫌われ者が、正統なる者を凌駕する凄さ。今、日本中、多くの人が涙していることだろう。