わが道の人。

晴れ、薄曇り。
Sさんから手紙がきた。2〜3か月に一度くる。いつも便箋4〜5枚にびっしりと書いてある。今の時代、珍しい「わが道」をゆく人である。
今どき、通常のことごとを知らせるのに、郵便でというのは珍しい。Sさんは、パソコンを持たない。いつか、便利ですよ、と言ったのだが(もちろん、手紙で)、嫌いだ、という。メールの時代、長年、手紙をやりとりしている唯一の人である。
Sさんと知りあったのは、今から37年前。私より4つ上だから、今は70を超えている。7〜8年前にリタイアした。手紙の往復は、あまり会わなくなった15年ぐらい前から。電話もまあない。この10年で2〜3度だろうか。手紙のみ。
Sさんは、運動神経の鋭い人で、スキーが上手かった。谷川の斜度の大きな斜面もスイスイと降りた。会った時から3〜4年、毎冬、多い時には月に2〜3回ぐらい、スキーヘ一緒に行った。下手な私を懲りもせず、よく誘ってくれた。彼の車で、ほとんど彼の運転で。正月休みも、5月の連休に月山の夏スキーへ行ったこともある。3〜4年後、テール・ジャンプに失敗し肩から落ちた私は、左肩の腱を切り、ひと月ばかり左が使えず、右肩を切ったら右手が使えずまずいな、と思いスキーを止めた。その頃から普通の人も始めだしたゴルフを私でもやりだしたが、Sさんは、「ゴルフは嫌いです」といって、やらなかった。
Sさんは、その後もスキーを続けていたが、それから何年か経ち、バイクを始めた。それも排気量の大きいやつを。「バイクを飛ばすのは気持ちいいものです」と言っていた。もう40を幾つも超えていた頃だと思う。ともかく、これだと思ったら、そのことにのめりこむんだ、Sさんは。しかし、その何年か後、大きな事故を起こした。何度か手術をし、3〜4か月ぐらい入院していた。見舞いに行くと、「面白かったんですが、もうバイクには乗れません。止めます」と言っていた。
それからまた何年かして、今度はカヌーをやりだした。毎週末、車の屋根にカヌーを乗せ、奥多摩の方へ行っている、という話を時折聞いた。さまざまなテクニックも覚え、「これは面白い」と言っていた。もともと生真面目というより、くそ真面目といった性格のSさん、これと思ったことには、それこそ一途、カヌーに入れこんでいた。が、このころから直接会うことが少なくなったので、いつまでカヌーをやっていたのかは知らないが、4〜5年は奥多摩の方へ行っていたのではなかろうか。
10年ぐらい前からだろうか、Sさんからの手紙に英語を勉強している、という文面が出るようになった。ラジオ(彼は、テレビも嫌いで、殆ど見ないという)の英語講座を幾つも録音し、それを繰り返し聴いているとか、近所の南アフリカ人に英語を習っているとか、といった。それまで趣味は殆ど体育会系であったSさんが、今度は英語の勉強にのめりこんでいった。「面白い」と手紙にある。60の手習いであるが、真面目一途のSさんだから、それこそ暇さえあれば英語の勉強をしている様子がよく解る。勉強大好きの様子がよく解る。
2年ほど前、久しぶりで会いましょうか、ということで、拙宅へ来てもらい飲んだ。顔を合わせたのは、おそらく10年ぶりぐらい。その折、私の本棚を暫く眺めていて、「古典が殆どないですね」と静かに言った。そりゃそうだ。私のものなど雑本ばかりだもの。今年の初め、今度はSさんのお宅へ行って飲んだ。Sさんの本棚には、新、旧約聖書や漱石全集、ドストエフスキー、トルストイといった類のものが並び、私が持つ雑本の類はひとつもなかった。
丁度1年前、Sさんへの手紙に、その少し前に観た映画『最高の人生の見つけ方』のことを書いた。共に60代で癌で余命半年ばかり、たまたま病院で同室になった、一代で10億ドルの財を築いた愛すべき遊び人であるジャック・ニコルソン演じる男と、生真面目一途で勉強大好きという自動車工のモーガン・フリーマン演じる二人の男の物語。そのM.フリーマンを見て貴兄のことを思い出した、と。
Sさんからの返事を見て驚いた。ジャック何某もモーガン何某も知らない、なにしろこの30何年間、映画を観たことがない、と書いてあったので。たしかに、今まで映画の話はしなかったが、30年以上も映画を観ない人がいるのか、と正直ビックリした。しかし、Sさんらしいな、とも思った。
映画も観ない。テレビも殆ど見ない。パソコンもやらない。今は、ただ英語の勉強をひたすらやる。かって、スキーやバイクやカヌーに一途にのめりこんだように。
わが道を行く人である。今の世に得難い人。おおざっぱで怠惰な私とは、何もかも正反対、対極の人。大事な友である。
明日あたり、返事を書かなきゃ。