小さなニュース。

晴れ、一時曇。
今日の朝日夕刊に、一昨日のブログで触れた、マース・カニングハムの死を悼む文を、一柳慧が書いている。
「実験精神貫いた闘争心」と。
1959年から61年にかけて、ニューヨークのカニングハムのスタジオで、ダンスレッスンのピアニストをしていたとのこと。
「6番街と14ストリートの角に立つ古いビルの6階、そこはこの界隈の猥雑さとは別世界の、アーティスティックな雰囲気に満ちた空間だった」と。この10年近く後、ジョン・レノンと結婚することになる小野洋子と、まだ結婚していた頃の一柳だ。
あとひとつ。今しがたのNHKのBSニュース。
飛行機に預けた荷物が行方不明になる数は、ヨーロッパだけで1日に9万個になるという。ホントかそんなに、と思い、桁が違うんじゃないか、と思い、聴き間違いかとも思ったが、そうかもしれないな、とも思う。私も無くなったものな、と思いだす。
13〜4年前のパリ、シャルル・ドゴール空港。ローマで乗ったアリタリアに預けたスーツケースが、待てども待てども出てこない。仕方がないのでバッゲージ・クレームへ行くと20数人並んでいる。後ろのサンダル履きのイタリア人だと思しきおばさんは、「私たちの荷物はダカールまで運んでくれたようだよ」とデカい声で叫んでいる。
しかし、パリのバッゲージ・クレームの40代半ばのおばさんは、イタリアのおばさんと違いすごかった。フランス語は当然だが、英、独、伊、西、5〜6カ国語をあやつり、てきぱきとさばいている。私の番になり、「英語でいいか」というので、「日本語がいいのだが」というと、「そこまでは、あんた」と笑って言った。
ケースの形、大きさ、色、メーカー、名前は付いてるか、そして、滞在先のホテル名、住所、電話番号等々を手早く聞き出し、コンピューターへ打ち込んでいる。「心配いらないよ。すぐ出てくるよ」と言っていたが、確かにそうであった。
その夜晩く、私のスーツケースはホテルの部屋へ運ばれてきた。ダカールまでは行っていなかったようだ。
今日の小さなニュース二つ。