御堂筋、南から北へ。

曇り、小雨。
一昨日、20日、御堂筋を南から北へゆっくり歩いた。
難波から梅田まで。いや、片仮名でミナミからキタへ、と言ったほうがいいか。いずれにしろ、御堂筋を通して歩くのは久し振り。
ナンバ近辺は常の如く人でごった返していたが、祝日なので、心斎橋から先は人も車も少なく、その分趣があった。ディオール、グッチ、ルイ・ヴィトン等々おつにすましたブランド・ショップが軒を並べる本町あたりは、静かであるだけに、よりシックな感があり、淀屋橋から眺める中之島は、いつも通りの落ち着いたたたずまい。
イチョウ並木は、時節柄緑の葉を繁らせており、黄変し落葉する時季の趣はなかったが、約4キロの御堂筋、半日、5時間ちょっと、ゆったりとした時を過ごした。途中少し寄り道もしたが。

この前夜の法善寺・水かけ不動。10時過ぎだったろうか、ミナミの手ごろな料理屋で今が旬の鱧を食い、外へ出たら強い雨、小止みになった水かけ不動には、時間も時間だったがお参りする人はいなかった。あの「泣いて船場のコイさんが〜、薬問屋のあの人に〜」という願かけをするコイさんも。

長年、水をかけられ苔むしたお不動さんも、これじゃまっ黒だな。

雨は弱まったが、法善寺横丁には人影なし。

道頓堀筋も人少なし。

阪神優勝時、トラキチが次々に飛びこむ戎橋。たしか1年ぐらい前までは暫く無粋な囲いで覆われていたが、きれいに改装されていた。銀色の湾曲した欄干に。
道頓堀も以前に比べずいぶん浄化された感じで、飛び込む環境はズッーと向上している。問題は、飛び込む条件が整うか、という点だけである。なにしろ、阪神が優勝しないことには、飛び込むに飛び込めないんだから。今期のように、巨人に16〜17ゲームも離されていては、シャレにもならない。まあ、今後5年や10年は、改装した戎橋の利用価値はないだろうな。
それにしても、阪神の人気はすごいな。この前日、休みに入った喫茶店に置いてあったデイリー・スポーツを斜めに読んだ。さすが、タイガース・ファン御用達のデイリー、1,2面こそ今や国民的関心事となった石川遼の全英オープン予選落ち関連であったが、3、4,5,6面すべてタイガース記事。前夜の対ジャイアンツ戦で、11対4の大差で負けているにもかかわらず。
3面の見出しはこう。[矢野271日ぶり復帰、祝ったらんかい。」、サブは、「矢野、打った、2安打、刺した」、矢野が11点も取られたリードを反省し、自己評価0点と言っているにもかかわらずだ。せっかく矢野が復帰したのに、どうして勝って祝ってやらないんだ。負けたのは他のやつらが悪い。見出しとリードしか見ていないが、たぶんこういうことが書いてあったのだと思う。さすがデイリー、古い苦労人には義理がたい。
4面の見出しは、「ラミ云々・・・」となっていた。この試合、ラミレスが2ランを連発している。「2ランを2本も、さすがラミレス」、などということなどあるわけがなく、「ラミレスのくそ野郎、2ラン2本も打ちやがって、阪神戦で打つな。相手を見て打て。このボケナス」とでもいうことが、この面全ページにわたって書いてあったのだろう。(おそらく)
5面の見出しは、「安藤6点も云々・・・」とあった。「やっと正妻の矢野が帰って来たというのに、安藤、お前が頼りない亭主やから、ボカスカ打たれて負けたんや。それも憎っくきジャイアンツに。このドアホ」とでもいう内容ではないかな。(おそらく)
6面の見出しは、「赤星いよいよ云々・・・」とあった。半月ほど離脱していた赤星の1軍復帰について。「赤星、お前がおらん間に阪神はえらいことになってるで。お前がおらんとやっぱりあかん。はよ頼むで」とでもいうことだと思う。(おそらく)
この日、他の試合はなかったのかというと、そんなことはない。ちゃんとやっている。他の5試合は、みんなひっくるめて7,8面に載っている。他の試合情報は阪神戦の10分の1、まさにその他おおぜいの扱い。
さすがデイリーだ。見てないのでよく知らないが、読売巨人軍御用達の報知も、ジャイアンツの負け試合の時に、さすがにここまではやっていないだろう。

途中、たばこ休憩に入った本町近辺のドトールから見た御堂筋のイチョウ。

淀屋橋を渡り、中之島へ入る。右手、ドデーンとばかでかい大阪市庁舎のすぐ後ろに、この建物はある。
1904年、住友家の寄付により建てられた大阪府立中之島図書館。この写真少しアングルが悪いが、入口には列柱が立ち並び、国の重要文化財にも指定されている石造りの堂々たる建物。

その近くにこんな掲示板が。この人に限らず、世に人気があるという都道府県知事の面々は、その実態よくは知らないが、おしなべて、なんとなく好きではないな。無責任な言い方ではあるが。

図書館のすぐ後ろ、以前は中之島公会堂と呼んでいた中之島のシンボルともいえる大阪市中央公会堂。100年近く前の1911年(明治44年)、北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助が当時の金で100万円を寄付、建てられたとても美しい建造物。以前はくすんでいて、それはそれで趣がある色調であったが、たしか7〜8年前に改修され鮮やかな色合いになった。もちろん、国の重要文化財。
なお、1918年(大正7年)この優美な建物が完成した時には、この建物を寄付した相場師・岩本栄之助は、大相場に失敗、その2年前に自殺していたという。いかにも大阪らしい話だな。

公会堂の前には、大阪市立東洋陶磁美術館。いわゆる、世に名高い旧安宅コレクションを納める。1977年経営破綻した総合商社・安宅産業が、金にあかせて集めた素晴らしい東洋陶磁のコレクションである。
安宅の破綻後、その蒐集品を引き継いだ住友グループ21社が、その散逸を防ぐ為、そっくり大阪市に寄付、1982年(昭和57年)開館、一般公開した。
今、日本の代表的悪人として叩かれ続けている日本郵政の社長・西川善文も住友銀行の頭取をしていた男だが、この住友というグループ、江戸時代以来、たしかに阿漕な商売もしてきただろうが、この美術館や中之島図書館に限らず、伝統的に公共への奉仕という大阪商人の心意気をも併せ持ったグループである。住友とは比ぶべきもない貧乏人の私が言うことではないが。
それはさておき、この安宅のコレクション(現在では、旧安宅のものばかりでなく、その後寄贈されたものもあるが)の素晴らしさ、といったらない。優品ばかり、と言ってもいい。金にあかせてでもあろうが、その眼も尋常でない。財力だけではこのようなコレクションはできないだろう。安宅産業というより安宅家が集めたというのが実情だろうが、特に、創業者の御曹司である安宅英一なる男は、若いころから今の金にすると、1と月に5〜6000万円の小遣いを遣っていたらしい。素晴らしい優品が集まると共に、眼力も磨かれていったことだろう。なにしろ、優美、典雅な完品ばかりなんだ。
何年も前、福岡市美術館で松永安左エ門の東洋陶磁のコレクションを観た時も、そう思った。益田鈍翁や原三渓といった財力、眼力ともに桁はずれな数寄者と交わり、また、競い合った耳庵・松永安左エ門のコレクションも、展示はそう多くではなかったと思うが、優美、典雅な完品ばかりであった。
思うに、安宅のコレクションにしろ松永のコレクションにしろ、鑑賞するに、概ね手頃な大きさということもある。日本人の感性にあうんだ。また、そうべらぼうに多いというわけでもない。安宅のもので約1000点。常設展示はその5〜6分の1といったところだろうが、この数もいい。ただ数を集めればいい、というわけではない。
数さえ多ければということなら、足利の栗田美術館やイスタンブールのトプカプ宮殿の陶磁コレクションなどがそうであろう。
栗田美術館は色絵磁器が中心だが、その蒐集品はおそらく万を超えている。この美術館自体世界有数のコレクションと称しているが、デカイものもゴロゴロしており、幾つもの建物にぎっしり詰まったコレクション、安宅のコレクションとは対極のものに感じられ、その執念はすごいとは思ったが、さほどとは思わなかったな。色絵磁器がそう好きではないこともあろうが。
トプカプの東洋陶磁のコレクションも、よく見れば北京の故宮や上海博物館にあってもおかしくない名品もあるのだが、まあ、大小いろんなものがガシャガシャとある中にあっては、その中に埋もれてしまっている。栗田のオーナーやトプカプのスルタンには申し訳ないが。
むしろ、陶器が主体だが、熱海・MOA美術館の姉妹館である箱根美術館のコレクションの方が、ずっと気持よい。
韓国の古陶磁では、ソウルのサムスン美術館に素晴らしい優品がある。この春、HISの格安チケットで観に行った。特に古陶磁をというのでなく、この美術館自体を見に行ったのであるが。と言うのも、この美術館は、韓国の古美術とそれとは対極の現代美術という2つのジャンルのみに絞ったコレクションをしている、とてもユニークな美術館であることを知ったからである。
マーク・ロスコ、フランシス・ベーコン、ヨーゼフ・ボイス、さらには、日本でずっと制作を続けている李ウーファンなどの現代美術のコレクションもすごいが、韓国の古美術も素晴らしく、特に、青磁、白磁を主とする古陶磁は、いずれも国宝、重文クラスの名品が、最先端のテクノロジーを使った展示環境の中で配置されていた。
サムスンは、日本企業の強力なライヴァルである、あのサムスン。この点でも、日本の企業は負けているのじゃないか。東芝や日立、シャープやパナソニックが、このようなすごい美術館を造ったという話は聞かないもの。
この日、以前は展示されていた油滴天目茶碗は見られなかった。代わりに、やはり国宝の飛青磁の花生が展示されていた。交互に展示しているのだろう。しかし、どうせなら油滴天目の方を見たかったな。

美術館を出て歩いていたら、セミの脱け殼がひとつ落ちていた。

御堂筋をはさみ、市庁舎と向きあう日銀大阪支店。屋根に緑青をふいた小さな建物。

大江橋を渡り、中之島と別れ、北へ。この先はあまり御堂筋らしい感じを受けないので北新地の方へ折れる。新地は、日が暮れないと目を覚まさない世界。日中の新地、静まりかえり、ものの見事に人影なし。3時すぎ、阪神近くの地下街で大分遅い昼飯を食う。食べながらふと壁を見ると、「旬 泉州名物(岸和田) 水なす漬」の貼り紙がある。丸なすの浅漬け。うまかった。
地上に出、少し歩くと、ビル街の谷間に小さな広場があり、ベンチが7〜8脚、灰皿もある。何か食べている者もいる。そのおこぼれをと、鳩が降りてきて歩いていた。ベンチに座り、たばこを吸う。

すずめも来ていたな。

御堂筋の終点・大阪駅。工事中らしい。

こちらは裏側。クレーンが幾つも。