夫婦の間柄。

曇り、小雨。夜雨。
叔母の葬儀に出席のため関西へ行き、3日間留守にした。そのため、ブログも3日間休み。
今年95歳の叔父と89歳の叔母は、6〜7年前からは、奈良県の設備のよく整った老人ホームに入っていた。3〜4年前、それ以前から患っていた叔母のアルツハイマーの症状が進み、意思の疎通が難しくなってからは、叔母のみ同ホームの別室へ移り、自力での食物摂取ができなくなってからは、胃瘻で直接栄養分を摂取、1日中若いころから好きだったクラシックのCDを流して、生命を保っていた。
叔父は、朝昼夜の食事の後、きまって叔母の部屋へ行き、1〜2時間ベッドの横に座りじっと叔母を見守っていた、という。何度か見舞いに行き、叔父と叔母の部屋に行った時も、叔父は「何かいうてくれたら、ええんやけどな」と私に言い、「オイッ」と言いながら指先で叔母のほっぺたを軽く突いたりしていた。幼稚園の男の子と女の子のような、ほほえましさを感じた。
やはり、同じような光景を見たのであろうか、いとこのひとりは私に、「ネエ、叔父さんは、何時からあんな愛妻家になったんやろ」と言っていた。というのも、現役で仕事をしていた頃の叔父は、典型的な亭主関白で、叔母のことをよく怒鳴りとばしていたからである。叔父、叔母のことをよく知る者誰しもが抱く、単純な驚きであったろう。
1年ほど前、叔父から唐突に叔母の句集が送られてきた。叔母の荷物を整理していたら、叔母が病気になる前に俳句誌に投稿していたものなど十数年分の句が出てきたので、叔母の実弟にまとめてもらい、上梓した、と後書きに記してある。叔父の叔母へのいたわりの証しのひとつだな、と思った。
実は、叔父も叔母の亡くなる暫く前に何度目かの軽い脳梗塞を起こし、すぐ近くのこの老人ホームの関連病院に入院していたのだが、同ホームの少し広い部屋で、近親者のみで営まれた葬儀の僧侶の読経が始まる直前に、寝巻きの上に喪服の上着だけを羽織り、車いすに乗って現れた。口をぎゅっと結んだ厳しい表情であった。
叔母の棺には、何人かの小さい曾孫たちが描いた叔母(彼らにとっては、ひいおばあちゃん)の絵や前述の叔母の句集などが入れられた。最後に、多くの花で埋まった棺に寄った叔父は、何度も何度も、静かに眠る叔母の頬や額を撫でていた。愛しげに、愛しげに。ゆっくり、ゆっくり、と。感慨深げに。
「何かいうてくれたら、ええんやけど、最後に一言でも」 と思っていたのか、「えらい苦労をかけたな、お前には」 とでも思っていたのか、あるいは、70年近く前、初めて叔母に会った時の楽しいことでも思い出していたのか。当人以外には解らないが、そのいずれでもあるように、私には思えた。
夫婦の間柄など、他人には解らない、当事者以外には解らないものである。他人からはさまざまどのように見える夫婦でも。若い頃、初めの頃は、男と女の関係であろう。それが長年連れ添うと、だんだん同志的な関係になっていくのが一般的ではなかろうか。
しかし、日本のように、これだけの超高齢者社会、金婚式など当たり前、連れ添って60年、70年などという夫婦が多くなってくると、単なる同志的関係などというものを飛び越えた、新しい関係が生じてくるのではなかろうか。いわば、小さい子供が、「わたし、いちろうくんがすき」とか、「あいちゃんかわいいから、ぼくすき」とでもいうような、なんの混じりけもない、ただ愛おしい、という純粋、ピュアな感情が生まれてくるのではないか。いい夫婦の間柄が、これからどんどん増えるだろう。
これからの、理想の夫婦の間柄のひとつじゃないかな。