「第4の権力」の盲点。

晴れ。
今日朝日の朝刊を見た時、一瞬、「アレッ」と思った。
一面トップ記事のヘッドラインが、「デモ、最初は平穏だった」 となっていたからである。サブは、「新彊ウイグル騒乱 住民が証言」で、ウルムチの暴動から1週間たち、住民の目撃証言を聞いたものとのこと。
サミットも終わり、デカい天変地異もないようだから、さしたるニュースなしの日なんだろうが、どうしてこんな分りきったことが今頃、それも一面トップなんだ、と思った。それが、「アレッ、と思い、なんで今頃」と思った理由である。
今回のウルムチの暴動は、昨年のラサ暴動と異なり、中国政府は事件後すぐに海外メディアを現地に入れた。しかし、取材は制限した。いわば官製取材のみであり、取材の難しさは解る。
しかし、5日夜に発生した暴動が、新華社から発信されたのが、日が変わってすぐの6日未明前、日本の新聞では6日の夕刊(東京都心部では、ギリギリ朝刊に間に合ったところがあるかもしれないが)に、多くの市民と警官1人が死んだ模様、との第一報が載った。そして、7日の朝刊では死者140人、夕刊では156人、と詳細が分かってくる。ついでにいえば、電波メディアも同じ。いずれも、新華社発信の数字そのままである。現在では死者184人となっているが、これも新華社数字。
念のため、ここ1週間の、朝・毎・読・日経・産経の全国紙5紙の記事を見てみた。千葉(東京版とは少しズレる)での同日の朝夕刊(産経は夕刊がないので、朝刊のみだが)の記事を見てみた。産経は産経らしく、読売は読売らしく、毎日は毎日らしく、という違いはあるものの、基本的なデータは、みな同じ。当たり前だ、みんな新華社発表のデータをもとにしてるんだから。
しかし、1週間もたって、「デモ、最初は平穏だった」というのは、おかしいんじゃないか、と思った。朝刊を見た時、直観的に。
6日の夜だったか、7日になってからだったか、さだかでないが、私もウルムチで5日にウイグル族の人たちが整然と混乱なくデモをしている映像を動画サイトで見ている。ひっくり返された車が火を噴いている動画、警官隊が襲いかかっている動画、さまざまなものがあったが、整然としたデモの映像も確かにあった。だから、「アレッ」と思った。
しかし、ここからが、少しこんがらがってくる。少しややこしくなってくる。
「アレッ」と思い、今日改めて動画サイトを見てみた。5〜6日前のものも含めて。ない。みつからない。東トルキスタンの独立を目指している「世界ウイグル会議」の日本での組織が発信しているRFUJ(ラジオ・フリー・ウイグル・ジャパン)のサイトに、7月6日にアップした「ウルムチで何が起きているか」という動画が削除された、という文言があり、7月11日、「事件後で、情報が錯綜していたこともあり、現場写真でない間違った写真が混じっていたことが判明、動画の公開を終了しました。サイト元」との文言もある。5〜6日前に見たのは、これだったのかもしれない。どういうことだ。
当然のことながら、動画サイトには、中国政府の暴虐をこれでもかと暴きたて非難するものもあれば、逆に、ノーベル平和賞にもノミネートされたという「世界ウイグル会議」の議長・ラビア・カーディルを狡猾な女として中傷するものもある。まあ、ネットの動画サイトというものは、何でもありの世界だから、そのこと自体には驚かない。問題は、その見極めである。これがややこしい。
さらに、それ以上にややこしいのは、新聞やテレビ他の第4の権力といわれるマスコミとネットの関係である。
日本のいわゆる全国紙5紙は、クウォリティー・ペーパーであると共にポピュラー・ペーパーでもある。客観性、公共性を求められている。各紙それぞれスタンスの違いはあるが、また、誤報もあるが、各紙それぞれ「オレたちは、確とした事実を、客観的に伝えている」と考えている。だからこその、司法、立法、行政と並ぶ、第4の権力である。新聞に限らず、マスコミすべて。
しかし、ネットとの兼ね合い、ネット情報の見極めが難しい。どうも腰が引けている。ネットは、パブリック・メディアであると共にパーソナル・メディアでもある。メチャクチャ、確かに何でもありのメディアでもある。でも、パーソナルであるが故に、管制でない事実、情報もある。そうでないものも、勿論あるが。
既存のマスコミ、マス・メディアは、そこのところ、見極めに非常に苦慮しているというのが、現状であろう。
でも、しかし、先月末の広東省でのウイグル族殺害の抗議に端を発した5日のウルムチでのデモ、6日か7日の動画サイトで見る限り、始めは穏やかなものであった印象がある(かりに、多少の手が加えられていたとしても)し、さまざまな中国の内部事情を考えれば、そうであったに違いない、と私は思う。それが、武装警察に抑えこまれ、発砲を受け、根深くある民族対立、支配、被支配感情に火がついたのであろう。暴動が報じられた直後、7日のブログに記したが、支配、被支配の関係、力で抑えこむ異民族支配が続く限り、なくなることはない、悲しい現実である。
それはさておき、とする問題ではではないが、5日前にも書いたので、ここでは、今日の朝日新聞を見ての「アレッ」について、考える。
1週間もたって、「デモ、最初は平穏だった」はないだろう。しかも、1面のトップ記事のヘッドラインで。なぜか、である。15〜20年前ならいざ知らず、パーソナル・メディアであるネット情報が飛び交っている現在、その見極めがつきにくい、ではすまされまい。「第4の権力」が泣くだろう。
このことは、朝日に限らず他のマスコミでも似たようなものだが、「第4の権力」の盲点といえるだろう。技術的にも難しいことが多くあろうが、解決策を見出さねばならない問題である。