死。

雨、夕刻やむ。
半月ほど前に急死したマイケル・ジャクソンの追悼式が、昨日(日本時間では今日未明)ロサンゼルスで行われた。
マイケルが、スーパースターであることも、キング・オブ・ポップと呼ばれていたことも、また、ムーン・ウォークなるものも知っている。しかし、私の世代はエルビス・プレスリーの世代で、連日報じられるマイケル情報にも、さほどの感慨は持たなかった。おそらく、薬物だな、とは思ったが。
若いころは、エルビスこそがスーパースターだった。エルビスとマイケルとの間のスーパースターであるビートルズも、私の中ではエルビスにはかなわなかった。ただ、ジョン・レノンがダコタ・アパートの前で撃たれ、殺された時には、衝撃を受けた。スーパースターであるからこその死、これぞスーパースターにふさわしい死のひとつ、とも思ったが。
エルビスの死は、ひとつの時代の終わりだった。「ジェルハウス・ロック」、「ハート・ブレーク・ホテル」から「ラヴ・ミー・テンダー」、「ブルー・ハワイ」のようなスローバラードまで、エルビスの歌はすべてよかった。すごかった。エルビスの死も薬物の濫用による死だった。マイケルの死もそのようだ。
畳の上(向こうでは、ベッドの上か)では死ねない、尋常な死に方をしない、というのも、尋常ならざるスーパースターの証のひとつであろう。エルビスも、ジョン・レノンも、そして、マイケルも、その意味でも、スーパースターであった。
マイケル追悼式の映像を、You Tubeでいくつも見た。マライア・キャリー、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダーが歌い、マジック・ジョンソンやブルック・シールズはじめ何人もの人が追悼の言葉を述べた。最後に、11歳だというマイケルの長女が声を詰まらせながらも挨拶をした。その少女を、付き添っていた濃褐色のグラスに黒いベレーのジャネット・ジャクソンが抱きとめた。
マイケルの舞台は観たことはない。が、ジャネット・ジャクソンの舞台は一度観たことがある。丁度15年前の1994年、ニューヨークで。
ヒルトンのコンシェルジュに、何か面白いコンサートはないか、と聞いた。ジャネット・ジャクソンのワールド・ツアーのショーがある、との答え。実はその時、ジャネット・ジャクソンのことを私は知らなかった。どんな歌手かと聞いたら、ジャネットを知らないのか、お前は、とあきれ顔でいい、まさかマイケル・ジャクソンは知ってるよな、という。ああ、マイケル・ジャクソンなら知っている、というと、ジャネットは彼の妹だが、それよりも、彼女自身すごい歌手だぞ。すぐ近くのラジオ・シティーでやるので、是非行け、すごいぞ、という。
チケットはいくらだったか忘れたが、100ドルはしなかったと思う。7〜80ドルぐらいだったんじゃないかな。まあ、そこそこの席だった。
たしかに、すごいコンサートだった。ラジオ・シティーの中は超満員、それよりもジャネットが歌いはじめると、みんな席から立ち上がりピョンピョン跳ねる。舞台が見えない。その3年前に胃を切り取り、そんな体力はない私は、4つか5つ高いところに設置されたバカでかいモニターでジャネットを見ていた。周りの連中も1曲終わるとイスに座るが、次の曲が始まるとまた立ち上がりピョンピョンする。ラジオ・シティーの館内全てがそう。ものすごい熱気に包まれていた。
結局、私が見た生のジャネットは、曲と曲の間の歌っていない姿だけであったが、おもしろかった。
それよりも、入った時から気づいていたが、あちこちに募金箱が置いてある。ジャネットが貨物機をチャーターし、ルワンダへ救援物資を届ける、あなたもご協力を、と書いてある。食糧や医薬品を満載してと。
丁度この年、この少し前に、ルワンダではジェノサイドが起こっていた。部族間対立によるすさまじいジェノサイドが。一説では100万人が殺されたという。棍棒や斧で。
ジャネットは、そのルワンダへ救援物資を積んだチャーター機を飛ばすという。アメリカのスターは、そういうことを個人でやっているのか、と少し驚いた。募金箱へ10ドル紙幣を1枚入れた。
そういや、マクナマラが死んだな。2日前に93の高齢で。それより、あのマクナマラとしては死亡記事の扱いは小さかったな。新聞一面でなく、中面の片隅だった。フォードの社長からケネディー政権の国防長官に迎えられ、その後、あのアメリカが負けた唯一の戦争・ベトナム戦争に全面的にかかわっていった。元祖コンピューターと言われたな。その冷徹、緻密な頭脳で。
しかし、後年、あの戦争は間違っていた、と発言していた。冷徹、緻密な頭で気づいたんだな。5〜6年前だったか、ハノイで開かれたシンポジュウムの後、敵将・ボー・グエン・ザップを私邸に訪ねている映像をテレビのニュースで見た。コンピューター付き秀才のマクナマラとゲリラ戦の天才・ボー・グエン・ザップは、どういう話をしたのかな。
「あの時はすまなかった。我々は間違っていた。許してくれ」といい、「もう終わったことだ。あなたの立場なら仕方なかったかもしれない。それより、よくお訪ねくださった」とでも話していたのなら、いいな。