ウルムチ。

薄日。
ウルムチで暴動が起った。起るべくして起こった騒乱、暴動である。
今日の夕刊には、死者156人、負傷者1080人、そして、1400人以上が拘束された、と出ているが、これは新華社報道の数字故、実際にはもっと多いだろう。
ウルムチは、新疆ウイグル自治区の区都、北京からは約3000キロ、上海からは、4000キロ弱離れた中国内陸部、いわば奥地であるが、思いの外の大都会である。
ウルムチには、10年ぐらい前に行ったことがある。
機上から見た市街の一画は、高層ビルが建ちならび、一部ではあるがミニ・マンハッタンの感もあった。もちろん、何分の一かの縮尺の、ではあるが。今ではより多くなっているだろう。ま、そういう地域もあるのだが、街中はともかく人が多く、混雑、雑踏、という記憶がある。四角いウイグル帽を被った男も多く見られ、中心部を少し外れると、矢絣模様のワンピースを着た女の姿もよく見られた。
ウイグル族はもともとトルコ系民族、アーリア系なので、我々モンゴリアンから見ると彫りの深い顔立ちなのだが、同じウイグル族でも、そのような人もいれば、我々とさほど変わらぬ平板な顔つきの人もいる。もちろん、正真正銘のモンゴリアンである漢民族もいる。しかし、なんとなしに、ウイグル族と漢族の違いは判る。似ているな、と思ってもなんとなしに違う。永年にわたる支配、被支配の関係がある故かもしれない。
また、ウイグル族のほとんどの人は、コーランの教えを守るイスラム教徒でもある。
それにしても、中国という国は問題の多い国だな。極端な経済格差、地域格差、人権問題、民族問題、宗教問題から、大国志向による極端な軍拡路線、なりふり構わぬ資源外交、と挙げていったらキリがない。
社会主義国といいながら自由主義経済、それも極端な自由主義経済、富める者はいくらでも富み、貧しい者は驚くほど貧しい。いつかハルビンのホテルで、修正資本主義をもじって、「今の中国は修正社会主義だな」といったら、日本語の解るホテルマンが、「とんでもない。中国は厳然たる社会主義国家だ」と軽くではあるが、くってかかってきて、少し言い合ったことがある。
しかし、なんと言おうと、国内の経済格差はすさまじい。ひどいものだ。沿岸部と内陸部の格差、同じ地域でも勝者と敗者の格差、民族間での格差。昨今、日本でも格差社会の問題があり、それはそれで考えねばならない大きな問題ではあるが、中国の格差問題はそんなものではない。
どのぐらいひどいのか、と思い、毎年春に発表される『フォーブス』の今年の世界のビリオネア・ランキングを調べてみた。ビリオネア、つまり、個人資産が10億ドル(為替レートにもよるが、まあ概略日本円で1000億円)の金持ちが、中国には今28人おり、世界で5番目、世界一はなんのかのといってもダントツでアメリカだが、イギリスや日本(17人)より多い。その数は年々増え続けており、一千億には届かないが、十億や百億単位の金持ちはゴロゴロいるんじゃないかと思われる。
その反面、年収10万円にも満たない人たちが、今でもおそらく億の単位でいる。これでいいのか、中国は。資本主義国なら、いや、資本主義国でもよくはないが、まあ解る。しかし、社会主義国を標榜していながらおかしくはないのか、と思わざるを得ない。「富める者からまず・・・」といった訒小平という男は、たしかにすごい人物であった。しかし、今の状況を知ると、さすがの訒小平も「そこまではオレも・・・」といって絶句するんじゃないか。
ウルムチにはビリオネアはいない。いないだろう。しかし、幾つか桁を下げた者はいるだろう。おそらくそれは漢族だ。さらに桁を下げても漢族比率は高いだろう。民族間格差だ。同じことをしていても、まずは漢族、ウイグル族は抑えられているのが実情だろう。
中国が多民族国家であることは解っている。圧倒的に多い漢民族の他に55の少数民族がいる。多民族国家は中国に限らず世界中あちこちにあるし、中国においても、「清」は満洲族の、「元」はモンゴル族の支配する帝国、国家であったことも解っている。しかしそれは、いわば、「力がすべて」の時代のことである。力で抑えつける支配はいつかは壊れる。支配、被支配の感情が内に潜む異民族支配はもたない。ある民族が他の民族を支配する国家形態は、民族自決という単純な原理の前では、説得力を持たない。不自然だ。旧ソ連、旧ユーゴの例をみるまでもなく、ほんのチョットしたことで、簡単に瓦解するものだ。
中国の為政者は、それが解っているいるからこそ、恐れている。力で抑えつける以外の選択肢がない。いかに辺境部に国家予算を投じ経済振興をはかろうとも、たとえ将来それが効果をあげようと、それだけでは民族の心は買えない。チベットにしろウイグルにしろ。今回のウルムチの騒乱自体は、圧倒的な武装警官の前にすぐに収束されるだろうが、民族問題の根はますます深くなること必然である。
チベットを失えば、ウイグルを失えば、内モンゴルにも波及するだろう。他の民族への波及もあるかもしれない。北京の為政者は、いかに中国という国は、昔からさまざまな民族が支配を繰り返してきた国なんだから、と思いつつも、怖いだろう。しかし、いずれは気付かなければならなくなるに違いない。
それが何時なのか、胡錦涛から何代後の国家リーダーが気づくのか。たとえ領土が今の半分になっても政治的、経済的にどうということはない、という時代に軟着陸できるリーダーが。30年先か、50年先か、100年先か。それまでは、騒乱、動乱は続く。いかに力で抑えつけても。
ウルムチでの一夜、3〜4人で裏通りの普通の食堂で飯を食った。ビールを何本か飲み、一品料理を何皿か頼み、最後にソバも食べた。汚い安食堂であったのはたしかだが、会計は3〜4人全て合わせて4〜500円ぐらいだったと思う。
その何日か後、上海を経由して帰ってきたが、上海博物館を出た後少し歩き、南京路との角の喫茶店でコーヒーを飲んだ。そのコーヒー代はたしか3〜400円だった。ぼられたわけではない。メニューに20元だか20何元だかって書いてある。たしかに、東京でいえば、銀座通りの4〜5丁目である。周りを見てもきちんとこぎれいな服は着ているが、ごく普通の中国人がごく普通にコーヒーを飲んでいる。ヘエー、きれいないい喫茶店ではあるが、上海ではコーヒー一杯3〜400円もするのか、と日本でもドトールの安いコーヒーを飲んでいる私は、少し驚いた。
それよりも、ウルムチでは3〜4人でビールを飲んで飯も食ってもトータル4〜500円、上海ではコーヒー一杯3〜400円、その地域格差に驚くというより、中国は大変だなこれから、という感をもった。
地域格差(まあ、経済格差といってもいいが)ひとつとってもこのようなもの。民族問題、異民族支配の解決、軟着陸はより大変。よほどの傑物が現れない限り、どうしようもないだろう。