パール・ハーバー。

薄曇り、夕刻薄日。
ハワイでの天皇、皇后の日程はどうなのかと思い、、宮内庁のホームページを見る。
ホノルルへは、14日にバンクーバーから着き、翌15日ハワイ島のコナへ発つ。ホノルル滞在1日半ぐらいである。予定されている行事は、メーンの「皇太子明仁親王奨学金財団設立50周年記念行事」への臨席、それに、ハワイ州知事との懇談、国立太平洋墓地への供花、とある。パール・ハーバー、真珠湾の文字はない。
しかし、サイパンへ行かれた時にも、たしか現地で予定を変えられたんじゃなかったかな、とも思う。
だがしかし、冷静によく考えてみると、お二人がパール・ハーバーに行かれる必要はあるのか、ないんじゃないか、と思いいたる。
昨日、佐野眞一の「最後の慰霊の旅だろう。パ−ル・ハーバーにも行くかもしれない」という話を聞いて、反射的に、「そうだ。行かれないはずがない」と思ったが、よく考えてみると、そうではない。今日になって、そう気づいた。
昭和16年12月8日(アメリカでは12月7日)の真珠湾攻撃は、その日から70年近くたった今でも、アメリカでは「卑怯な日本」、「卑劣で汚い日本人」の代名詞となっている。何かというと、すぐ出てくる。あの気のいいアメリカ人がいつまでも忘れない。
本来、真珠湾であろうとどこであろうと、当時の状況を考えれば、日本軍がアメリカの軍港を攻撃することは、太平洋戦争開戦の是非は別として、戦略として当然なことであり、「卑怯な日本」、「卑劣で汚い日本人」として、非難されるべきことではない。
問題は、宣戦布告の通告が遅れたことにある。1時間近くも。
真珠湾への奇襲は現地ホノルル時間の午前7時55分に始まる。しかし、ワシントン駐在の野村、栗栖両大使がアメリカの国務長官・ハルに最後通牒、宣戦布告の文書を持っていったのはワシントン時間午後2時20分(ホノルル時間午前8時50分)。攻撃開始から55分も後である。予定では、攻撃開始の30分前に通告するつもりが、翻訳とタイピングに手間どるという書記官の不手際で、攻撃開始から1時間近くも遅れた。このことが、「卑劣で汚いジャップ」の印象をアメリカ人すべてに植えつけてしまった。残念だ。
ちょっと記憶が不確かだが、野村と栗栖の2人がハルの執務室に入った時、2人はいきなりハルから面罵されたという。その時初めて2人は真珠湾への攻撃が1時間も前に始まっていることを知り、返す言葉もなかった、と以前何かで読んだ記憶がある。そうだろう。野村、栗栖の両大使もそうだが、70年後の日本人もそうだ。いつまでも汚いやつらだと思われてるなんて。
少し横道にそれたが、本題に戻る。
真珠湾攻撃自体は、12月1日の御前会議で決定されている。アメリカに最後通牒を突きつけ、宣戦布告を通告した後直ちに、との。その場合の攻撃自体は、なんら非難されるものではないだろう。戦の常である。その点では、昭和天皇には責任はないし、東條内閣にも責任はない。この攻撃自体が、いつまでもアメリカで「卑劣で汚いジャップ」の代名詞となって消えない責任は、外務省の出先、ワシントンの日本大使館にある。
そのことから考えたら、昭和天皇のやり残されたことごとすべてを引き継ぐのが務め、と考えておられる平成天皇と皇后が、パール・ハーバーへ行かれる必然はない。たとえオアフ島滞在中、真珠湾のことが頭から離れなくても。
ここでは、あくまで、太平洋戦争開戦の是非、また、戦争責任ということとは全く別の問題、その問題は横に置いて、という観点からキーを打っている。布告なき開戦、パール・ハーバーへの汚い不意打ち、という一点のみを取りあげている。
10年近く前、『パール・ハーバー』というそのものズバリのアメリカ映画があった。監督の名も俳優の名も憶えていないが、ともかく、卑劣で、野蛮で、さらに愚鈍な日本人、として真珠湾攻撃が描かれていて、日本人として気分の悪い映画だった思いがある。宣戦布告、開戦時機の問題は大きい。
しかし、何かで読んだのだが、第二次世界大戦以後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、その他多くの戦争を行っているアメリカは、いずれの場合も宣戦布告をしていないんだそうだ。いずれもなし崩しに戦争に突っ込んだという感はあるが。
そういや昨日は7月4日、アメリカの独立記念日。『7月4日に生まれて』というオリバー・ストーンのベトナム戦争の後遺症を描いた映画があったな。たしか、トム・クルーズが出ていた。その後のイラクでの戦争、駐留でも、生きて帰ったアメリカの兵士には多くの後遺症が出ているが、このオリバー・ストーンの映画のトム・クルーズが演じたベトナム帰還兵の主人公も、ひどい心の傷を負っていた。
ベトナム戦争がらみでは、何十本という映画が作られているが、フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』が忘れられない。すごい映画だった。米軍の指揮命令に従わず逃走、ジャングルの中に独立王国を作っている元グリーンベレーの隊長であるカーツ大佐を、これもまた軍の命令で殺しに行くという話だったが、すさまじくもおどろおどろしい映画だった。
特に、カーツ大佐を演じたマーロン・ブランドの演技はすごかった。同じコッポラの手になる『ゴッド・ファーザー』のNYマフィアのボス・ドン・コルレオーネ役の演技もそうだが、そのド迫力、その存在感は、すさまじいほどすごかった。他のどの役者ができようか、思いつかない。
それにしても、戦争の狂気。