東博初もうで イノシシ(続き)。

東博のイノシシ、特別2室へ移る。


屏風、版画、・・・、この部屋には絵が多い。

日本にはライオンとかバッファローといったゴツイ動物はいないので、巻狩りと言ったらシカかイノシシが主役となる。クマはいるが、クマは巻狩りのイメージとは少しそぐわない。やはり巻狩りにはイノシシだ。
実は源頼朝、この前年の建久3年(1192年)に征夷大将軍となっており、この年、建久4年(1193年)には既に下野那須野や信濃三原野で巻狩りを行っている。そして5月、いよいよ富士の裾野で大規模な巻狩りを催した。
武家政治の頭、鎌倉幕府の力を天下に誇示したかったんだろう。富士の巻狩りで。
上の東博の説明書きにあるように、この時の富士の巻狩りでは新田四郎忠常が大きなイノシシを仕留めている。
新田四郎忠常、さらに人をも殺めている。
建久4年の頼朝の富士の巻狩りには、幾つものサブストリーがある。
最も知られているのは曾我兄弟の仇討ち話。十郎、五郎の曾我兄弟がこの巻狩りの折り、父の仇・工藤祐経を討つ。が、その後、兄の十郎祐成は新田四郎忠常に斬られる。あのイノシシを退治した新田四郎忠常に。弟の五郎時致も捕えられ首を刎ねられる。
なお、新田四郎忠常もその後、建久3年(1203年)、殺される。平安時代から鎌倉時代へ移り武士の世となったのだが、この頃さまざまな権謀術数が飛び交っていたものと思える。

富士の巻狩りについては、多くの作品が生まれている。
これも。



これも。
これ、とても面白い絵だな。



右がオス、左がメス。




これぞ猪・イノシシ。ザ・イノシシだ。



吉祥画なんだ。

ここにもイノシシ。



「七ツ目合」なんて知らなかった。
十二支で半分に割りきれる6とか分かりやすい数ではなく、7という割りきれない素数であることが、どうもキモなんだな。

最後に富士の巻狩り図を今一度。

北斎見立ての「富士の巻狩」。イノシシには大黒さまが対峙している。
「画狂人北斎」と記されている。