ゴードン・マッタ=クラーク展(続き×2)。


4、5年前か、5、6年前か、ほぼ毎日、地元の江戸川区を縦横に歩き、さらに都内全域に足を延ばしている写真家のS.H.から、「ほんとに箱ものが好きなんだから」と言われたことがある。
そう、私が日常のルーティンとして行くところは、図書館、映画館、美術館、そして病院。いずれも箱ものばかりである。私の行く図書館はややくたびれているし、汚い映画館もある。ルーティンとして行く病院はふたつあるが、ガヤガヤとした空間である。美術館や画廊はさまざまである。美術品を展示する美術館はホワイト・キューブと呼ばれるようだが、たしかに通常の美術館はそうである。
東京国立近代美術館も普段はそう、ホワイト・キューブである。

しかし、ゴードン・マッタ=クラーク展に関しては、その美術館イコールホワイト・キューブの概念をぶち壊した。
東京国立近代美術館研究員の三輪健仁と会場構成の早稲田准教授の小林恵吾のタッグによって。
彼らふたり、1978年のニューヨークで35歳で早世したゴードン・マッタ=クラークの意を再構築している。

ホワイト・キューブ、くそくらえである。

スプリッティングされた角。

上のキャプションは、<スプリッティング:四つの角(後部左側の角を降ろす作業)>。
下のキャプションは、<輸送中の「二つの角」>。
アートって不思議なんだ。





ストリート、路上にはアートが詰まっている。

アナーキテクチャー。
アナーキーとアーキテクチャーが合体した。それはいい。しかし、合体したそのものは残っていない。文字と写真のみが残っている。
そう、ゴードン・マッタ=クラークの作品の多くは残っていない。その前段階のスケッチだとか成した時の写真が伝わるのみ。ドキュメンテーションである。

上の10枚の組み写真のタイトルは≪無題≫。

右の方にはフェンスがある。先の方には階段状のものがある。

パイプにフェンス、ホワイト・キューブとはまったくかけ離れた空間である。

グラフィティだ。

東京国立近代美術館の中にいることを忘れる。

70年代のニューヨーク、ふたりのスーパースターを産みだした。グラフィティで。

そのひとりは、キース・ヘリング。
あとひとりは、ZOZO Townの前澤友作が100億だか幾らだかで買ったジャン・ミッシェル・バスキア。

それにしてもZOZOの社長の前澤友作って面白いね。1000億円ぐらいの金で月の裏側を周ってくる宇宙旅行を予約したり、若く可愛い女優を連れてプライベートジェットでW杯を見に行ったり、やりたい放題。
が、イケメンでないところがいい。
昔、カンティンフラスというコメディアンがいた。たしかメキシコの役者。鼻の下に薄い髭が生えていた。前澤友作、そのカンティンフラスによく似ているんだ。
面白い。

パイプを組んだところがある。
下を見わたせる。

こちらは。
スリットの先には、パリかどこかの地下世界が流されていたのかもしれない。

向こうを見る。

パイプを組んだ階段の上から前を見る。

新しい世界が。


今日6時すぎ、安い居酒屋に入った。
相撲中継は終わっちゃったか、と思いながら。
と、テレビ画面に日産のカルロス・ゴーンが逮捕されたとのニュースが流れた。驚いた。
金融商品取引法違反。約100億円あった報酬を半分程度にしていた模様。また、会社の金を私的流用していたとのことも。
忠実義務、善管注意義務、取締役としての護るべきことを逸脱している。

安い居酒屋、その後隣にネクタイを結んだ男が座った。その男に訊いた。「カルロス・ゴーン、どうしてこんなことをしたのか」、と。そ男はこう言った。「納税を少なくしたかったのではないでしょうか」、と。
それはそうであろうが、金など腐るほど持っているであろうカルロス・ゴーンがどうしてって、と。


不思議。