「住み果つる慣らひ」考(8)。

爆発が大好きで「芸術は爆発だ!」と叫んでいた岡本太郎はアーティスト・芸術家であるが、若い頃ソルボンヌの哲学科で学んでいる。
<「死」と「生」はぶつかりあい、からみあっている。だからこそ生命が燃えあがる>。
<死の本能が私の全人間の底で、強烈に引っ張るからこそ、生命の歓喜が燃えあがるのだ>。
<危険をおかすこと、「死」に賭けることが逆に生きがいとなって生命がひらいて行くのである>。
そして・・・
<生きてきた以上、死ぬことに賭けなきゃいけない。でなければ生は輝かない。それをしない卑しい人類なら、直ちに滅んだ方がいいのだ>、と『生きるための死に方』(平成4年 新潮社刊)に記している。
「死ぬための生き方」なら話は分かるが、「生きるための死に方」とはどういうことだ、共に新潮社、「死ぬための・・・」の4年後に「生きるための・・・」を刊行している。しかも共に考えを記している人も42人。この符牒もいかにもツイン。
その中で岡本太郎と共にあとひとり面白い人を。
高峰秀子の「死んでたまるか」という一文。
<真面目一方で、金にならない仕事ばかり追いかけているような亭主と、すっかり怠けぐせがついて稼ぐ気などてんで無い女房が、アホみたいなことを言っている内に、早くも2、3年が過ぎた>。
<私たちはようやく幕切れの近さを感じはじめた。「具体的にまず身辺整理からいくか」という亭主の一言で、・・・・・、私たちはドッコイショと腰を上げた>。
で、パリの蚤の市から大切に持ち帰った飾り皿や何々や何々や、と家財道具を1/3に減らしたそうだ。
3階建て9部屋あった家もぶっ壊し、3部屋の「終の住処」に立て直し、「サッパリしたね」と言いあっていたそうだ。
<・・・・・と思ったら、常日頃「65歳死亡説」をとなえていた亭主が体力づくりと称してセッセとヘルスセンターに通いだした。「こんなにいい家が出来たのに、死んでたまるか!」というのがその理由である。「死ぬために生きる」のは、どっちに転んでも忙しいことですねぇ>、と結ばれる。
家財道具を1/3に減らし、9部屋あった家を3部屋にした効果はあったようだ。
高峰秀子は86歳まで生き、「真面目一方で・・・・・」のご亭主・松山善三(若い人は知らないだろうな。脚本家です) ウヌッ、なにっ、高峰秀子も知らないよって人もいるって?そのような連中は知らなくてもいい。が、松山善三は91歳まで生きた。
身辺整理って長命につながるんだな、どうも。


丁度30年前の1998年、朝日選書で『死をめぐる50章』が刊行されている。50人の人が記している。
海老名香葉子、澤地久枝、辺見庸、南伸坊、安部譲二、桐島洋子、関川夏央など魅力的なラインナップであるが、その中から個人的嗜好(何のかのと言って、どうしても稀勢の里が気になるようなもの)で、田辺聖子と田中小実昌のふたりの記述を引く。
田辺聖子のタイトルは、「人生は神サンから借りたもの」。
「神サン」についての解説もある。大阪弁は京都の御所言葉から派生発展したものであるゆえ、サマという言葉はない。京都御所では、禁裏サン、東宮サン、姫宮サンなどといい、サマは田舎言葉としていやしめられる、との。
それはそれとし・・・
<神サンは人の命終にあたり、「返せ(かやせ)」といってくる。・・・・・。なにをですか、と問い返してもそれは時間稼ぎにもならない。無駄な抵抗というものだ>。
<「持ってるもん全部じゃ」 神サンに慈悲はない。愛もない。もっと、シンプルで透明で、空なるものだ>。
<「こんどはきっと、立派なもんにしてお返ししますから、もういちど貸して下さい」と嘆願する。「あかん、あかん」と神サンはニベもなく、・・・・・。・・・・・。私としては一言もないわけである。・・・・・>。
そうなんだ、オレたち。
なお、田辺聖子、90歳になった今も健在である。
田中小実昌のタイトルは、「おまえ死ぬよといわれつつ」。
1925年生まれの田中小実昌、兵隊にとられた。
<中国の湖南省でマラリア熱とアメーバ赤痢で掘っ建て小屋の野戦病院にはいっていたころ、・・・・・、軍医からなんども、「もう、おまえは死ぬよ」と言われた>。
<軍医に「おまえ、もう死ぬよ」と言われながらも、ぼくは、えへら、えへら、苦笑してるような状態だったのは、あんまり衰弱して、生きてても死んでいても、おなじようだったのだろう>。
<・・・・・。いまは死ぬのがこわい。覚悟なんか、まるっきりできてやしない>、と田中小実昌。
コミさん、40年ほど前には新宿ゴールデン街で時折り行きあった。バーまえだのママとどうこうということであったが、はたしてどうか。
一度、12時すぎのバーまえだでコミさんと二人っきりの時、私は帰ってくれって言われ、コミさんはまえだの狭い階段を2階に上がっていったことがあるが、まえだのママとコミさんでは、ただ二人でいるだけって感じがするな。


「これは僕の生き方講座です」って惹句の永六輔の『大往生』が岩波書店から刊行されたのは、1994年である。ミリオンセラーとなった。
永六輔、この書を亡き父に捧げている。
<父は死に、僕も死ぬ。この本を読んで下さる、あなたも死ぬ>、と「まえがき」に記す。
中は、はは、そうでありますねー、といったことごと。
巻末、永六輔、この書を捧げた父親について記している。

永六輔の父親は、若い頃結核療養所で暮らし、その後も「病院の出入りが日常になり」って人であったそうだ。
父親は、いつも体調と相談しながら、自然体で生きてきた、と記して・・・
「無理をしない」
「静かに生きる」
「借りたら返す」
父の生き方をまとめるとこの三つになる、と記す。
そういうことなんだ。
ごく短い、当たり前と言えば当たり前のいことなんだ。大往生でもあるが、人間としてってことなんだろう。
心して承る。


山折哲雄の対談集『いのちの旅』(現代書館 1997年刊)は、立花隆や吉本隆明、山本七平など11人の「知」が詰まった人たちとの対談である。
初っ端、永六輔が入っている。
山折哲雄も永六輔もお寺の生まれである。
山折哲雄、こう言う。
「日本の場合には政教分離の原則があまりにも突出してしまったと思います。小学生や中学生の教科書の中に、宗教的な・・・>、と。
そういうことかもしれない。


トランプ、シリアを攻撃した。
英仏と共に。
アサド政権が化学兵器を使用したとして。
アサドの後ろ盾、ロシアのプーチンはいかなる反応をするのであろうか。
キナ臭い。