エルミタージュ美術館 美を守る宮殿。

私は、ブリティッシュ・ミュージアムを含めて世界4大美術館と呼んでいるが、ブリティッシュ・ミュージアムは博物館であるから除き、ルーヴルとメトロポリタン、それにエルミタージュで世界3大美術館と言っている人が多い。
それはそうではあるが。まあいいか。
その3大美術館、要塞から宮殿となり、さらに美術館へと変容したルーヴルが最も古いと思っていたが、エルミタージュの方がその設立はより古いらしい。美術館としてのルーヴルの設立は1793年、エルミタージュのそれは1764年だという。
因みに、メトロポリタンのそれは1870年。エルミタージュやルーヴルから100年前後遅いが、アメリカという国、その100年ぐらい前にできた国なんだから、これは凄い。何しろメトロポリタン設立の10年前までは南北戦争をやっていた国なんだから。ダイナミズムにあふれた国だよ、アメリカという国は。
余計なことだが、そのような躍動感あふれる国を、今、ひとりのバカ者が矮小化している。まったく、あのバカ。アメリカ文化に惹かれてきた私には残念でならない。国務長官のティラーソンがトランプのことを”moron”と言ったのは事実だと思うよ。「あのバカ」って。
いけない。アメリカのことを考えると、つい頭に血が上ってしまう。今日はエルミタージュ、ロシアのことを記すのだった。
この夏前であったであろうか、エルミタージュのドキュメンタリー映画が封切られた。

『エルミタージュ美術館 美を守る宮殿』、監督はマージー・キンモンス。
丁寧にエルミタージュ美術館の来し方、そして素晴らしい収蔵品の数々を映し出す。

エルミタージュ美術館、その始まりは女帝・エカチェリーナ2世のコレクションである。それが今、300万点を超える収蔵品を持つ。エルミタージュ美術館のメーン冬宮も、女帝・エカチェリーナ2世が造った。
エカチェリーナ2世、何とも凄い女帝である。

エルミタージュ美術館といえば、このイメージである。実際のエルミタージュは緑色をしているが。
3階建てであろうか4階建てであろうか低い階層であるが、横に長い建物が続く。このように。
ところで、エルミタージュ美術館の部屋の数、2000室というのだから驚く。東博など、本館、表慶館、東洋館、法隆寺宝物館、それに平成館、すべて合わせても100に満たないのではないか。
それのみならず、ロシアの底力というものは凄いものがある。
エルミタージュへ行ったのは25年近く前になる。モスクワから夜行列車でサンクトペテルブルクへ着いた。
サンクトペテルブルクの街並みを見て驚いた。
ソ連の崩壊後である。しかし、70年以上に及ぶソ連時代を経ているにも関わらず、サンクトペテルブルクの街並み、美しかった。表通りの建物、3階か4階、それが淡いブルーやグリーンやピンクに彩られている。共産主義時代にもサンクトペテルブルクの優美さは守り通したんだな、と感じた。

左から2枚目の写真、王冠を被っている人物は、女帝・エカチェリーナ2世である。エルミタージュ美術館のファウンダーである。
ともかく凄まじい女性である。
神聖ローマ帝国の末裔である小国からロシア王室へ嫁ぎ、ついには女帝となる。エカチェリーナ2世、政治権力を握った後の男遍歴が凄いんだ。
公にされている愛人だけでも、その数、10人。それ以外の愛人は数十人から数知れず。日本の天皇や将軍など足元にも及ばない。イスタンブール、トプカピ宮殿のスルタンもそのハーレムの様、エカチェリーナ2世に及ばないのでは。
そのような人物であるからこそ、世界に冠たるエルミタージュ美術館を造った、と言えるのかもしれない。

エルミタージュ美術館、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を2点所蔵している。ルーヴルやウフウィッツィに次ぐ。
1994年5月に訪れた時求めたエルミタージュ美術館の図録から、エルミタージュのドキュメンタリーにも出てきたレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を複写する。
レオナルド・ダ・ヴィンチ≪リッタの聖母≫。
また、右側の聖母子像は、ラファエロ≪コネスタビレの聖母≫。
共に、エルミタージュの至宝。