雪の里アート巡り(10) SNOWART TRAIL。

「大地の芸術祭・越後妻有2017冬」、さまざまな催しをやっている。
十日町へ行った前日の4日には3尺玉が雪上に、といった「雪花火」が実施されている。2月末から3月12日までは雪道トレッキングでアートを巡る「SNOWART TRAIL」が。

期間限定の雪道トレッキング、1時間ほど。半分ばかりはガイドの説明であるので、歩いたのは30分ばかり。歩くのが遅い私を待っていたり、私に合わせてくれていたりしたので、トレッキングとは名ばかりではあるが。

かんじきをつけてもらう。
長靴を履き、脚絆のようなものをつけ、その後小さいかんじきをつける。

最初にこの作品が現れた。
堀川紀夫作≪Snow Flower≫。

こういう雪道を歩く。
お客は3人のみ。大きなカメラで写真を撮っている若い男、恐らく日常は仕事一方で稼ぎ、時折り気ままな一人旅と思われる30代の女性、それに私。

少し遅れがちになるが、ついていく。かんじきをつけてくれた人が、「少しがにまたで歩いてくださいね」と言ったので、少しがにまたで。

枠だけの家に梯子がくっ付いているような作品が現れる。
マーリア・ヴィルッカラ作≪かくれ里≫。

若い男はあちこちにカメラをかまえる。

窓枠のようなものに電球が吊り下がっている作品。コンピューター制御されている。
高橋匡太作≪森の灯々≫。

ガイドのジャンパーの背には”ECHIGO TSUMARI”の文字が。

向こうの箱にコンピューターが入っているそうだ。

雪でできたお地蔵さまのようにも見えるし、合掌する雪の子供のようにも見える雪像に藁の帽子がかかっている。

台湾の作家・林舜龍の作品≪春を待つ≫。
あちこちにいっぱいある。

ガイドの人、こう語る。
「台湾の作家は、この冬の芸術祭・2017冬の開幕の何日も前に、大勢の台湾の学生を連れて松代に来ました。この雪像に藁帽子の作品を365作る、と言って。松代の人たちもボランティアで参加しました。が、開幕日に間にあったのは260体でした」、と。
で、260体が並んでいる。
台湾から来た学生、雪が珍しく雪遊びの方が面白いので、先生の作品作りよりも雪遊びの方が優先、となった連中もいたらしい。若い学生だもの、そりゃそうだよ。
それはともあれガイドの人に、越後妻有トリエンナーレばかりじゃなくさまざまなアートイベントを催しているが、その経済効果ということを考えてのことか、と訊いた。ガイドの人、こう言った。
そういうこともありますが、一番大きなことは、この土地の人が外の世界と繋がったことです、と。
第3セクターのほくほく線ができたのもわずか20年前。陸の孤島であった。道はあったが、雪が深い期間は通行はできなかった。そういうところであったそうだ。
そう言えば、まつだい郷土資料館にこういう写真があった。

大きな荷物を背負った人が写っている。道路が封鎖された厳冬期、十日町から松代へ、一日がかりで雪の峠を越えて日用品を運んでいたそうだ。
ともかく、外の世界との繋がりは、とても少なかった。それが今ではアートに関することで日本人ばかりか外国人も訪れてくる。外の世界と繋がったことが大きい、とガイドはいう。
それがここ20年ばかりのことなのに驚く。が、そうなんだ。
越後妻有ばかりじゃなく、今さまざまなアート・プロジェクトが催されている。どちらかと言えば、都市から離れた土地で。アート・プロジェクト、地方の町興しの強力なツールとなっている。

歩いていく雪道の右側にある雪像は、向こうの方を向いている。
雪道のこちらを向いているもの、雪道のあちらを向いているものがある。台湾の作家・林舜龍は、彼岸と此岸を表わしている、と言っているそうだ。この向こうを向いているのは彼岸かな。

雪を積み上げた山の上にも、雪帽子の雪像があった。

これ。
合掌する雪ん子。

お寺があった。
トレッキングとは言っても、里の近くを歩いているんだ。

青い線のようなものが現れる。
本間恵子作≪雪を聴く≫。

ガイドが近寄り、雪を手に取る。

丸めた雪を青い線につける。五線譜に音符が描かれる。参加型作品。

前山忠の作品≪雪の視界2017≫。
近くまではいかなかったが、どうも竹を立てて雪面を区切っている。
雪面、どのようにも区切ることができる。それ故にかどうか、霊的なものを感じる。

向こうに農舞台が見える。

小1時間の雪道トレッキング、農舞台へ帰ってきた。
こう見ると、農舞台の建築、ピロティであることが解かる。

1階部分には、長靴があり、

かんじきがあり、

カメルーンの作家の作品の左横に、何かの型のようなものが4つある。
台湾の作家・林舜龍の作品の雪のお地蔵さまのようなものの型。

時間は12時すぎ。農舞台の2階のレストランへ。
農舞台のレストラン・越後松代の里山食堂、その名、アート好きには日本全国に鳴り響いている。やや大袈裟に言えば。
ジャン・リュック・ヴィルムートによる越後まつだい里山食堂、青い世界の中に。
その右側に、一升瓶と稲穂のようなものが見える。

これ。純米酒 霧の塔。
<雪見酒 雪を眺めて>なんてことが記されている。

窓の外には、今歩いてきた風景が広がる。

マーリア・ヴィルッカラの≪かくれ里≫が目の前に。
雪を眺めての世界である。雪見酒、純米酒 霧の塔のグラスを頼んだ。

越後まつだい里山食堂の日替わり定食・里山ごはん。
左側にあるコースターに乗っているのが雪見酒の純米酒 霧の塔のグラスであるが、このところ酒を飲むと腰が痛くなる私、雪見酒・霧の塔は二口か三口しか口をつけられなかった。
が、里山ごはん、ごはんは半分以上残したが、おかずは頑張ってみな食べた。美味かった。

こういう紙片があった。
私が食べたもの、里山食堂のこういう冬の野菜であったのであろう。