サウスポー。

ボクシングの聖地であるニューヨークのマディソンスクエアガーデン。そのリングには、ノーガードでパンチを振るうブルファイター。ライトヘビー級の世界チャンプ・ビリー・”ザ・グレート”・ホープである。無敗の王者である。だから、名前に”ザ・グレート”が入っている。
マッチメイクをするプロモーターは、時間を空けず次の試合を組む。プロモーターにとっては金がすべて。しかし、ビリーの女房のモーリーンは反対をする。
何しろビリーの試合運び、相手にハードパンチをお見舞いするが、相手のパンチも貰うスタイル。ディフェンスをとらずノーガードで打ち合うのだから。いかに無敗のチャンプとはいえ、パンチドランカーになる恐れ多分にある。
女房のモーリーン、ビリーにこう言うんだ。
「こんなことをしていたら2年で廃人よ」、と。
が、ある時、ビリーのベルトを狙っているボクサーの挑発に乗り素手での喧嘩となる。そのどさくさの間、相手方のピストルが暴発、モーリーンが死んでしまう。
最愛の女房を失くしたビリー、荒れる。ひとり娘がいるのだが、娘からも「ママじゃなくてパパが死ねばよかったのに」、と言われる始末。

ボクシングにしろプロレスにしろ、また他の格闘技にしろ、何が面白いって人間模様が面白いんだ。
常人とはかけ離れた肉体を持つ男の人間模様が。チャンプであった男がその座から落ちる。また、這いあがる。金を追うプロモーターにも翻弄される。並外れた肉体を持つ男たち、その多くは世渡りがヘタなところがある。
無敗のチャンプ・ビリーもそう。
最愛の女房・モーリーンを突然失ったビリー、試合にも負け、また短気がもとで1年間の資格停止処分も受ける。ひとり娘も児童施設へ入れられてしまう。
<もう一度、愛を掴め>、との惹句、はたして掴めるのか。

『サウスポー』、監督は自らもボクサーであるアントワーン・フークア。味がある。
ビリーには、ジェイク・ギレンホール。女房のモーリーンには、レイチェル・マクアダムス。
感動率92.1%、となっている。
まあ、さして信憑性のあるものではないであろうが、落涙率ということで言えばそうかもしれない。

<心掴まれる、この1本>って惹句、そうなんだ。

右端は、レイチェル・マクアダムス扮するモーリーン。
ビリーの試合は、いつもリングの傍で見ていた。

ボクシング映画、マッチメイクをするプロモーターばかりでなく、トレーナーも欠かすことができない。
左から2枚目は、女房を失い、ベルトを失い、豪邸も失い、娘も失い、自棄になって何から何まで失ったビリーが教えを乞いに行った下町のボクシングジムのトレーナーであるティック。フォレスト・ウィテカーが扮する。
下町のボクシングジムのトレーナー・ティック、元世界チャンプではあるが今はまったく金のないビリーに掃除夫の仕事を斡旋する。その上で、ボクシングのことを教える。
何しろビリー、オフェンスばかりでディフェンスなんてやってこなかったんだから。ティック、ビリーににボクシングの基本を教える。ディフェンスも。
いや『サウスポー』、結末は割れている。
誰しもが思い描くような展開となる。誰もが「よかったー」って思うような結末に。
なんだ予定調和じゃないか、と思うのもそうではある。が、そうではあるが、なかなかそれが何とも言えず、というのもいいんじゃないかい、と言える作品である。

それにしてもビリーに扮したジェイク・ギレンホール、半年に亘るトレーニングで素晴らしい肉体を作りあげた。試合の場面でもスタントは一切使わなかった、という。
ライトヘビーの肉体、男でもほれぼれする。

<もう一度、愛を掴め>、<愛を取り戻せ>、ビリー、掴んだ、取り戻した。
女房・モーリーンと同じように、ひとり娘とも頭をくっつけあっている。
ニューヨークの片隅の風景である。


昨日の九重(千代の富士)の急逝に関し、角界の多くの人が言葉を発している。
尾車(琴風)は、「自分が横綱になったのは琴風がいたから」、という千代の富士の言葉に「嬉しかった」と語っている。
千代の富士の師匠であった北の富士は、「大鵬さん、北の湖さん、そして千代の富士、強い順番で亡くなっていくのか」、と語る。
弟弟子である現相撲協会理事長の八角(北勝海)、また千代の富士引退の引き金となった貴花田時代の貴乃花、さらに小錦も、共に故人を称え、偲ぶ。
ちょうど成田に着いた朝青龍は、「涙が止まらない。角界の神様」、と語り、そして「悲しいな」、と。
あまりにも早すぎる死であった。