ミンヨン 倍音の法則。

50代以上の人なら、「ああ」と思い当たる方も多かろう。
3、40年前のNHK、和田勉が、ポタージュに血が滴るレアなステーキといった濃いドラマを連発していた頃である。それと対極、スープはコンソメ、メーンは平目のムニエルといったドラマを何年かに一回発表していたのが佐々木昭一郎である。
不思議な映像であった。抒情的といえば抒情的。「映像詩」と呼ばれていた。
「四季・ユートピアノ」、「川の流れはバイオリンの音」、佐々木昭一郎の作品のみに出る佐々木昭一郎のミューズ・中尾幸世が巡る旅の映像、確かに「詩」であった。
その佐々木昭一郎、NHKをはるか昔に退職し、19年ぶりに作品を撮った。テレビドラマではなく、初めての映画を。何故、19年もの間作品を撮らなかったのか。佐々木昭一郎、こう言っている。
「誰も声をかけてくれなかった」、と。

昨秋、11月中旬の神保町、岩波ホール前。
岩波ホールの原田健秀さんが、プロデューサーを引き受けてくれたそうだ。佐々木昭一郎の映画「ミンヨン 倍音の法則」の。

佐々木昭一郎の作品に出ている人はプロの役者ではない。すべて素人である。
この映画の主人公・ミンヨンもそう。
ミンヨン、韓国人である。
佐々木昭一郎がミンヨンに初めて会ったのは2004年、早稲田大学で佐々木の作品が催された時だそうだ。ミンヨン、早稲田に留学していた。だからミンヨン、韓国語ばかりじゃなく日本語と英語もなめらかに話す。ミンヨンの笑顔に引きこまれる。

音楽詩でもある。
モーツアルトの交響曲「ジュピター」、ピアノ協奏曲第22番、アメリカ民謡、様々な曲が奏される。
ミンヨン、「箱根八里」を歌う。「アリラン」も歌う。早稲田の応援歌「紺碧の空」が2番まで歌われたのには、身体が揺れた。

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、船橋市立船橋高校吹奏楽部、幾つもの楽団が出てくる。

「ミンヨン 倍音の法則」は進む。
ソウル大の大学院生となっているミンヨンにも。
70年前の戦時中のことである。ミンヨンの祖母の友人である人の物語。佐々木昭一郎の実の祖母の物語である、という。
祖母の連れあいの男、つまり佐々木昭一郎の祖父は、開戦前、特高に殺された。小林多喜二の虐殺を思わせる場面が出てくる。
佐々木昭一郎、それがどうこう、とは言っていない。「昔は、不審死というものがあった」、と言うのみ。
時を超えた作品、国をこえた作品である。

日本と韓国、玄界灘をひと跨ぎ。