ウィークエンドはパリで。

イギリス・バーミンガムに住む熟年夫婦が、ある週末パリへやって来る。結婚30年目の記念日を祝うため。歳のころは60代前半。夫のニックは大学の哲学教師、妻のメグは中学で生物を教えている。まあ、イギリスのインテリ夫婦、と言っていい。

30年前新婚旅行で来た時に泊まったホテルを予約する。しかし、着いてみると何ともボロっちいホテル。若い頃には、よかったが。モンマルトル近辺のホテルであるから、大したホテルであるワケはない。
キャンセルし、タクシーの運転手にチップをやりやり、パリのあちこちを走り回る。そして何と、プラザアテネのスイートルームに宿を取る。「トニー・ブレア首相もお泊りになりました」、という5つ星ホテルのスイートに。
オイオイ大丈夫か、人ごとながら心配するよ。
たかだか大学と中学の教師夫婦なんだから。そうゆとりがあるはずはないんだから。その二人が、トニー・ブレアも泊まったというプラザアテネのスイートなんかに泊まって。いかに勢いにまかせて、とはいえ。

シネスイッチ銀座の地下へ降りる途中の小さなウィンドーには、エッフェル塔のディスプレイもなされていた。ややズングリとしたエッフェル塔であるが。
プラザアテネのスイートから外を眺めた二人は、「オッ、エッフェル塔だ、最高の眺めだな」、なんて能天気なことを言っている。

『ウィークエンドはパリで』、監督はロジャー・ミッシェル。主役の二人、亭主のニックにはジム・ブロードベント、カミさんのメグにはリンゼイ・ダンカンが扮する。まさにピタリ。
それよりだ。この赤・白・青のトリコロール、パリの小粋な物語なんだろうな、と誰しも思うよ。
ところが、そうじゃない。
粋なロマンティック・コメディーとか熟年夫婦への賛歌、と捉える向きもあろうが、そうではない。ビター、苦い物語である。

亭主のニック、ひと月前に大学をクビになっていることをカミさんのメグに話す。「どうして今ごろそんなことを言うんだ」、とメグ。
「お前、浮気してるんだろう」、「なによ、学生と浮気して」、「15年も前の話じゃないか」。この会話ばかりじゃなく苦いやりとりが幾つも出てくる。砂糖やミルクを入れないコーヒー、ビターな世界が展開する。

ニック、学生時代の友人と偶然に再会する。その男は、今では人気作家となっている。彼の家でのパーティーへ誘われる。行くと、リヴォリ通りの高級アパルトマン。彼我の格差はいかばかり、ということであるが、そこに味がついているのがこの作品のミソ。
観てもらう他ない。この作品、今月から来月にかけ、全国で、と言っても各県1館ぐらいであるが巡回する。

週末の土日、二日間、ニックとメグの二人はパリのあちこちを歩いている。シネスィッチ銀座の小さなディスプレイ。
凱旋門、モンマルトルのサクレクール寺院、オペラガルニエ、ポン・デ・ザール、ロダン美術館、ボードレールやサルトル、ベッケットが眠るモンパルナス墓地、さらに、カフェ、レストラン、ビストロ。
レストランで食い逃げもしている。オイオイいくらなんでもそんなことありか、という無銭飲食まで。如何に何でもあり得ないだろう。イギリスのインテリ夫婦の端くれが。
しかし、どういうことかは知らず、そういうことも起こっている。プラザアテネのスイートの支払いについても、彼らのカードの限度額を越えている。どうするんだ、お二人さん。
「住むならパリね」、「あぁパリ」、と言っているところが、甘く苦い。



昨日、パキスタンの17歳の少女・マララ・ユスフザイにノーベル平和賞が贈られた。インドの人権活動家と共に。
マララさん、2年前タリバーンの銃撃を受けた。生死の境を彷徨ったマララさんは、イギリス・バーミンガムに運ばれ、生き帰った。偶々ではあるが、ノーテンキと言えばそう、ビターと言えばそうでもあるニックとメグが住む町と同じバーミンガムに住み、そこで学校へ通っている。
しかし、マララさん、同じバーミンガムの住人であるニックやメグとはその根本が違う。しっかりとした女の子だ。
ノーベル賞を受賞し、こう発言している。「私にとっては、新たなる挑戦の始まり」、と。ウーン、凄い。ノーベル賞を取った人物に対しこんなことを言うのもナンであるが、末恐ろしい女の子である。