水の国日本「水の祈り展」。

38年前のことである。
流水紋作家・重富豪は、「時の流れる姿を見たい」と思い、窓外の川面が日差しをうけてきらきらと輝くのを見、「これだ!」と川面へと走ったそうである。
以来、<水と仲良くして、生まれたての水の姿、紋様を墨と和紙を使いつかまえてきました>、と作家は記す。
水と墨と和紙、墨流し(マーブリング)である。
しかし、7年前、作家の身にそれまでにないことが訪れる。水神とでもいうべき者が現われる。写し取った和紙の上に。今、その時のオリジナルは、京都の清水寺に安住されている、という。
重富豪の”水の国日本「水の祈り展」”、今、白金の八芳園で催されている。

京都、清水寺管主・森清範大師揮毫の”水の国日本”の書が迎えてくれる。

室内へ。
多くの流水紋。

この親子が眺めているのが、7年前現われた水神・水の精。

イーゼルでの展示も。

後で、お話会も持たれた。

川面に落した墨を和紙に写し取った作品を、大きく引き伸ばしたもの。

その部分。
実は、流水紋作家・重富豪の作品、すべてタイトルがない。如何様に感じても、ということかもしれない。

会場に入ってすぐのところ。
左の方にスタッフと語る作家・重富豪(スーツ姿)が見える。

多くの作品が連なる。

1枚の作品を得るためには、3〜400枚のものが消えている、と重富さんは話す。

1点の作品を得るために。

偶然性の芸術でもある。しかし、必然性、という要素が絡んでくる。

さまざまな流水紋。
実は7年前、この真ん中の流水紋が現われたそうだ。

顔がある。手がある。胴体がある。足もある。
一瞬で切りとった流水紋にこのような紋様、いわば水神が現われた。

作家・重富豪は、こう記す。
重富豪、お話会を行なう。どこかスピリチュアル、宗教的な感も受ける。重富豪、それを意識した上、敢えてと言って話す。”生かされている”、ということを。重富豪のファンと思しきご婦人方が多くいる模様。私を誘ってくれたのも、そのような人。
重富さん自体、宗教性からは一線を曳いている模様である。
”生かされている”、”他力”、という思想ではあるようだが。
重富豪の”水の国日本「水の祈り展」”、今週末29日まで、白金八芳園6階、エタニティーの間で開かれている。
暑苦しい日常を離れ、非日常の朧な世界に身を置きたい、というお方には是非お勧めする。