青もみじ巡り(9) 横川(続き×2)。

横川中堂や根本如法堂を横に見て、元三大師堂へ向かう。

路傍には、時折りこのような光景が。

元三大師堂。

元三大師堂、このようなお堂。

元三大師堂、四季講堂とも呼ばれる。
<ここを住房とした慈恵大師良源は、山上の堂塔伽藍の整備や学問の興隆をはかり、またおみくじの創始者として知られるなど「中興の祖」と呼ばれ、全国の元三大師信仰の中心拠点です>、と延暦寺のパンフ。
元三大師、つまり、慈恵大師良源、第18代天台座主である。

軒下には、ウンッ、こりゃ大津絵だ。

これも。
地理的には、まさにピタリである。でも、大津絵は江戸期に入ってからのものだ。元三大師堂の開創は、はるか以前。
ということは、大津絵は、江戸期に入ってから掲げられたものであろう。

境内、振り返る。

元三大師の絵看板。

元三大師と角大師とは・・・。
司馬遼太郎の筆を引く。
<・・・・・その晩年、大きな鏡の前で禅定に入っているうちに、鏡にうつっている元三大師の姿が、骨ばかりの鬼になった。弟子たちのなかで絵心のある明普阿闍梨という者がすばやく写しとり、あとで元三大師に見せた。・・・これを版木に刻んで刷れ。と元三大師がいったのが古くから疫病よけの護符とされる「角大師」である>、と。

『徒然草』を著わした吉田兼好も、比叡山横川で出家している。兼好法師の『徒然草』第238段を引いている。
竜華院(元三大師堂)へもちょくちょく行っていた、と記されている。
叡山で出家と言えば、瀬戸内寂聴もそう。
『古寺巡礼京都12 延暦寺』(淡交社、平成19年刊)の巻頭エッセイで、51歳で出家、二か月の間、横川の地で若い僧に混じり厳しい修業をした様を記している。
それよりも、兼好法師の『徒然草』第238段が面白い。
第238段、終段に近い。
長いんだ、この『徒然草』第238段。
まず、馬乗りの名手が7つの自慢話をしているが、と記し、私にも7つの自慢話がある、と記すんだ。『徒然草』も終わり近くになり、兼好法師、”オレもこのような”という自慢話を記すんだ。
冷静な知識人・吉田兼好、可愛げなヤツでもあるんだ、な。
兼好法師、たわいないと言えばたわいない自慢話を7つ語る。
馬に関する知識であるとか、漢詩の韻に通じていることであるとか、書道史 に通じていることであるとか、といったこと。
それはそれで、ということも思うが、そうだよな、ということも感じる。

右は元三大師堂。
戻る。

横川エリアの地図。
私は、横川中堂、赤山宮、そして元三大師堂のみへ行った。
恵心堂も、鐘楼も、虚子の塔も、その他のあちこち行っていない。
今の私、高い所へは行かないし、あっちもこっちも、とは行かない。無理のない範囲で少しだけ、ということを基本としている。
だから、横川でも少しだけ。

青もみじの所に戻ってくる。