五輪、歴史、主権、そして、感情。

4年に一度のオリンピックの年、今年の8月15日は、終わったばかりだとはいえ、オリンピックの諸々と重なってしまった。
その諸々、常なら”余韻”というのが大方のところ、今回は”残滓”という要素が加わった。
前段は、韓国大統領・李明博の竹島上陸にあった。

5日前の10日、李明博、島根県の竹島へ上陸する。
翌11日未明の五輪サッカー3位決定戦、日本は韓国に敗れる。
同年代の選手である。しかし、韓国の選手は、全員が竹島問題を知っており、日本の選手は、恐らく多くの選手は知らなかった、と思われる。この試合、単なるゲームではない、という意識に差があった。
スポーツと政治とは別である、スポーツに政治を持ちこんではいけない、と誰しもが言う。確かに、そう。否定はしない。しかし、肯定もしない。
今はどうであるか、よく知らないが、昔、ハンガリーの水球が、滅法強い時代があった。ハンガリーは、ソ連圏の国であった。いわば、ソ連に押さえつけられている国である。オリンピック水球での旧ソ連とハンガリーの試合、凄まじいものがあった。ソ連が崩壊した後でも、このようなことはある。ロシアと旧ソ連であったグルジアのレスリングなど、そのような気配を残している。
このこと、何も旧共産圏の国ばかりに限らない。西側の国々の間でも、往々にして見られる。ましてや、韓国にとっての日本、国を奪われた過去があるのだから。
五輪3位決定戦の日韓戦の後、韓国の一選手、”独島は我々の領土”と書いた紙を掲げて走った。韓国の選手、その何時間か前の李明博の竹島、独島上陸を知っての上での行動であろう。IOC会長・ロゲが言うように、明らかな政治行動である。この選手のメダルは剥奪されるであろう。
しかし、私は、この選手のとった行動、非難しようとは思わない。当然と言えば、当然な行動なのだから。スポーツというもの、政治とかけ離れたものではない。だから、恐らくメダルを授与されないこの朴鍾佑という選手を気の毒に思う。
だが、この後がまだまだ続く。
 早い段階で、韓国のサッカー協会から日本のサッカー協会へ、「申し訳なかった」、という謝罪のメールとファックスが入る。日本側は、”謝罪の”と発表した。ところが、韓国側は、”regret、遺憾の意”であり、謝罪ではない、と反論した。
ドロドロとしたさまざまな波及が現れる。
今回のロンドン・オリンピック、事前には、日本は金メダル15個以上を取り、上位5位以内を目指す、と公言していた。ところが、柔道で大きく躓き、最後の方で思わぬ金もあったが、最終的な金メダルは7個。目標からは、大きく下回った。でも、総メダル数が史上最多、これは凄い、となっている。確かに凄い。それは、事実である。
しかし、誰もが解っていながら、また、メディアも解っていながら、ほとんど触れないことがある。韓国のメダル数である。
韓国、事前には、金メダル10個、総合で10位以内を目指していたそうだ。それが、獲得した金メダルは13個、総合5位となっている。さらに、北朝鮮も金メダルを4個取っている。韓民族ということで考えると、金メダル17個となる。
アメリカ、中国、開催国のイギリス、ロシア、それに次いで韓国、韓民族である。凄いどころでない。
昨日、日本の新聞各紙も、ロンドン五輪の総括をやっていた。凄い結果を残した韓国ではどうなのか。朝鮮日報の日本語のウェブサイトを見てみた。
ロンドンで成功したのは、韓国と北朝鮮と中国である、とAFPが報じている、という記事がある。たとえ朴鍾佑にメダルが授与されなくとも、朴鍾佑には報奨金と兵役免除の規定は適用されるべきだ、という記事もある。
植民地侵略の象徴である独島領有権に執着し、慰安婦問題の精算に背を向けている、という記事もある。1454年の「世宗実録」なる文書に、独島が韓国領であることが明記されたいる、という記事も。それならば、竹島問題、国際司法裁判所の場で、と言っている日本に同調すればいい、と考える。それほどの客観的な自信がある、と言うなら。
それは、ひとまず置いて、韓国のスポーツ、確かに強い。何故か。
「克日作戦」とか「克日戦争」という言葉が、韓国にはあるそうだ。
大島裕史著『コリアンスポーツ 〈克日〉戦争』(2008年、新潮社刊)にある。
4年前の書であり北京オリンピックの直前に上梓された書であるが、韓国のスポーツが何故これほどになったのか、その歴史が綴られている。<それは「鬼の大松」から始まった>というプロローグから、北京五輪前夜までのことごと、面白い。
ベルリン五輪の孫基禎、東京五輪の辛金丹、日本に帰化した秋山成勲、多くの「ああ」という名が出てくる。それはそれとして、
書名にもある「克日」という言葉について、大島裕史、「あとがき」の中でこう記している。
<・・・・・日本の植民地時代の抵抗運動を「抗日」、今日に至るまでの日本に対する反感を「反日」と言うのに対し、「克日」という言葉は、いわゆる「教科書問題」が吹き荒れた1980年代から盛んに使われるようになった言葉だ。日本に反発するだけでなく、日本に追いつき、追い越せ、さらには、日本をやっつけろという意味でも使われている。スポーツはまさに「克日」のシンボルである>、と。
厄介だ。しかし、これが現実である。日帝36年の歴史があるのだから。
1910年、日本は韓国を併合した。1945年、日本は太平洋戦争に敗れる。韓国は36年に及ぶ大日本帝国の軛から解放される。
しかし、”恨”の思いがなくなることはない。
当然だ。支配し抑圧した方は忘れても、支配され抑圧された方は忘れない。

この時から、67年となる。

今日、正午。黙祷を捧げる。
お言葉を述べられた天皇、その足つき、昨年にまして弱られた感がある。心配だ。
韓国大統領・李明博、その発言、だんだんエスカレートしていく。天皇の訪韓に関し、条件をつける。独立運動の過程で倒れた人々へ謝罪しろ、と。単に、「痛惜の念」という言葉だけを言うのなら、訪韓の必要はない、とも。
李明博の発言、歯止めがなくなってきた。

今日の日本の支配から脱した光復節では、李明博、こう言っている。
従軍慰安婦の問題だ。
そうではある。気持ちとしては、よく解る。しかし、日本側は、受け入れない。何故か。
1965年の日韓基本条約と、日韓請求権並びに経済協力協定があるからである。日本側から言えば、この条約と協定で、すべての請求権はなくなった、という立場。それを崩すことはできない。
しかし、翻ってこの2、3日の李明博の言葉を聞いていると、それとは別種、人間としての気持ちの問題、として言っているような部分もある。複雑である。以前、河野洋平が、官房長官として、この気持ちの問題に踏み込んだことがある。
五輪から、歴史認識、領土などの主権問題、そして、人としての気持ち、感情の問題まで、ここ数日、次々に現れる。
明日、続けよう。