ニーチェの馬。

1889年のトリノ、ニーチェは鞭打たれ疲弊した馬車馬を見つけると、駆け寄り卒倒した。そのまま精神は崩壊し、二度と正気に戻ることはなかった。そして、どこかの田舎、石造りの家と命をつなぐ古井戸。疲れ果てた馬と、農夫と、その娘。外は暴風雨が吹き荒れる。6日間の物語。
こういう惹句なんだ、この映画。
どういうことだ。

監督は、ハンガリーの巨匠・タル・ベーラ。モノクロ。2時間半を越える作。
冒頭、吹き荒れる暴風の中、年老いた男が乗った荷馬車が進む。荒れた野の道をどこまでも、いつまでも。長回しのカメラがそれを追う。
石造りの家に着く。娘が出てきて、馬を納屋に入れる。交わされる言葉はない。この作品、台詞は極端に少ない。
暫らく後、ジャガイモを茹でた娘、父親に「食事よ」、と言うのが数少ない台詞のひとつ。
食事は、茹でたジャガイモがひとつずつ。手で皮をむき、手で食べる。塩をひとつまみかけることもある。あとは何もない。パーリンカ(焼酎)以外。

6日間の物語である。
1日目、年老いた農夫が荷馬車で帰ってくる。ジャガイモをひとつ食べて寝る。
2日目、納屋の馬が動かなくなる。飼葉も食べなくなる。
3日目、荷車に乗った流れものの一団が来て、勝手に井戸の水を飲む。娘に「追い返せ」、と言っていた農夫、たしか”ツィガーヌめ”、という言葉を遣っていた。
4日目、井戸が涸れる。農夫と娘、一旦は、道具類を持って家を出る。しかし、引き返してくる。
5日目、ランプの火が消える。火種もなくなる。
6日目、父親の齧ったジャガイモ、生である。井戸は涸れた。水はない。

単調と言えば単調な日常。
朝起きる。娘は、右手の不自由な父親の服を着せる。茹でたジャガイモひとつの食事。外は、吹き荒れる風。焼酎を飲み、窓から外を眺める。そして、6日が過ぎる。
朝はやがて、夜に変わり、夜にはいつか終わりが来る、ということだろう。
映像でそれを描く、映画の極点、といえば極点であるかもしれない。

しかし、なぜ『ニーチェの馬』なんだ。原題も、『The Turin Horse(トリノの馬)』だから、ニーチェがらみではあるが。
フリードリヒ・ニーチェ、ツンドク(積読)の主要な要員のひとりであろう。私も、そうしてきた。どうせ読みもしないのだから、見てくれのいいものを、と。ハハ、年取ったから、あと幾拍か、となったからこんなことも平気の平座となる。

私のツンドク・ニーチェ、タイトルは、『如是説法 ツァラトゥストラー』(昭和13年10月18日、山本書店刊)、登張竹風譯。
くすんだ群青色一色のその表紙もかっこいいが、それではあまりにベタ。で、ややすっとぼけた扉を撮った。シャレ、賑やかしで。少しだけだが、本文も読んだ。案外読みやすいことが分かった。
この映画を観たのは10日ほど前。その後、遅まきながら少し勉強もした。村井則夫著『ニーチェ ツァラトゥストラの謎』(中公新書、2008年刊)で。
多くの人が、さも当たり前のように言っているニーチェのトリノでの故事、50年後の1939年にジョルジュ・バタイユが書いていることだ、と知った。
「ニーチェの狂気」と題する、バタイユの詩。
少し長くなるが、その箇所を引くと、
<50年前の1889年1月3日 / ニーチェは狂気に屈したのだった。/ トリノのカルロ・アルベルト広場で / 打擲された馬の首に泣きじゃくりながら縋りついて / それからがっくり頽れたのだった。 / 気がついたときには、ニーチェは自らが / ディオニュソス / あるいは / 十字架につけられた者であると / 信じていたのである>。
暴風の中で、6日が過ぎ、7日目となるであろう父親と娘、永劫回帰、ということか。
監督のタル・ベーラ、『ニーチェの馬』、この作品をもって最後の作品、とするそうだ。見るべきものは見つ、撮るべきものは撮つ、ということなんだろう。タル・ベーラ、ニーチェの狂気とシンクロできる男なんだ。