東北へ行くということ。

画廊主催の展覧会を開くことができればいいが、私の周りの絵描き連中、そういう人は、まあいない。
年に何度も作品を発表する、ということは大変なことなんだ。下世話な話、お金もかかる。画廊が出してくれるわけではない。大方は、すべて自己負担。
しかし、知り合いの中には、年に何度か行なっている人が何人かいる。山本宣史もその一人。年に2〜3度はやっている。半月ほど前にも京橋の画廊でグループ展を行なっている。山本宣史、水墨画と岩彩の日本画3点を出していたが、この水墨画がよかった。

タイトルは、≪鵜ノ巣断崖(陸中海岸)≫。
山本の水墨画、墨は松を燃やした煤から作る松煙墨・青墨、紙は麻の繊維を漉いた麻紙(まし)を使っている。
「鵜ノ巣ってどのあたりなんだ」、と山本に聞いた。「岩手だが、この間の浄土ヶ浜よりももっと北」、という返事。
そう言えば、山本から来た案内ハガキに、”続きです”、という書き添えがあった。その時には、何のことやら解からなかった。山本、昨年末、彼が属する団体展に≪浄土ヶ浜≫を出品していた。その続き、という意味だったらしい。浄土ヶ浜は、宮古の近く。鵜ノ巣断崖は、その北の方にあるそうだ。海から200メートルほどの断崖になっている、という。
実は私、去年末、山本の≪浄土ヶ浜≫を見た時、震災前のものだな、と思った。今回、画廊にいた山本に聞いたら、そうではなかった。”浄土ヶ浜”も”鵜ノ巣断崖”も、大震災後のものだ、と言う。ここも津波に襲われた、と言う。
大震災の後、去年の夏に東北へ行ったそうだ。ボランティアに行ったわけじゃない。別に、たいそうなことことじゃない。名所や温泉に行ったそうだ。半月ほど前の画廊にも、≪大間 鮪 心臓・初 喰≫、という自画像が出されていた。”おおまのまぐろ ハーツ ぐい”、というルビがふられている。オヤジギャグもいいとこ。マグロをほおばる自画像が展示されていたが、ここに載せるほどのものでなし。ギャグの世界だ。
しかし、山本宣史は大した男だ。エライ。大震災の後、東北へ行っている。これが大切なことだ。
ロシア生まれのユダヤ人・ベン・シャーンは、生まれ在所を捨てたディアスポラとしてニューヨークに根づく。ディアスポラ、社会的弱者への思い入れは強い。ベン・シャーン、黒人やプア・ホワイトばかりじゃなく、ドレフュス事件、サッコとヴァンゼッティ事件、さらには、ビキニでの第五福竜丸の被曝にまで関わっていく。
お上へのプロテストだ。だから、ベン・シャーンの絵、さほど面白くない、ということはあるのだが。それとは別に、お上へのプロテストは、その意識は大したもの。
大震災後、東北の地を周った山本宣史に、ベン・シャーンの如き問題意識があったかどうか、それは解からない。何しろ、大間で、マグロをほおばり、オヤジギャグを飛ばしている男なんだから。
しかし、山本宣史、大した男であることには変わりはない。大震災後、東北へ行っているのだから。日本人のすべて、東北へ行くべきなのだ。物見遊山であろうと、何であろうと、日本人なら東北へ行くことが必要だ。
三陸のあちこちの宿に電話をした時、こう言われたことに驚いた。満室で取れなかった宿でも、震災後まだ営業していないという宿でも、最後には、みなこう言われた。「ありがとうございます」、と。まだ再開できない、という宿でもだ。
こういうことからも、東北と繋がっていること、大切なことなんだ、ということがよく解かる。
夜テレビを見ていたら、8時からは、鶴瓶とQちゃん・高橋尚子が、大船渡を訪ねていた。大船渡駅近くの仮設商店街、私はまったく気づかなかった。9時からのニュースには、京都のIT企業「はてな」の社長が、社員を連れて東北へ行った、というものがあった。
30代半ばと思える「はてな」の社長、ほとんどが20代の社員を引き連れ、三陸を訪れる。3日だったか4日だったか。南三陸町や気仙沼、陸前高田などを。
ところで、私のこのブログ、「はてな」と契約している。その「はてな」の社長が、若い社員を連れて三陸の地を歩いていることを知り、とても嬉しい。
それはともかく、日常は、被災地からは遠く離れた京都で働く若い社員、初めは、何でこんなことを、と思っている社員もいる。しかし、被災地の現場を見れば、その思いも変わってくる。そうだよ、これも今の日本なんだよ、と。
東北へ行くということ、とても大事なことなんだ。今の日本にとり。日本人として、東北とのコンタクトが求められている。
温泉につかりに行くのでもいい。マグロを食いに行くのでもいい。ラーメンを食いに行くのでもいい。飲みに行くのでもいい。何でもいい。今、東北へ行くことが大切だ。