ボロの美。

古いものは美しい。傷つき痛んだものも美しい。
布も同じ、古く傷んだものほど美しい。その美しさ、なにも正倉院の古裂に限らない。青森のボロっきれもそれに劣らない。
今月初め、古い仲間とスカイツリーを見に行った帰り、浅草のアミューズ・ミュージアムへ行った。そこの屋上の展望台からスカイツリーを眺めたこと、その時に書いた。しかし、ミュージアムのことに触れたのは、少しだけ。柳宗悦や青山二郎や白洲正子に気を使うな、ということのみ。
ボロの展示をしている。青森出身の民俗学研究家・田中忠三郎のコレクション。美しい。

展示室の入口を入ると、いやーきれいだ、美しい。
説明書きにこうある。
<これらの”ぼろ”には、こんなものを着ていた人は、貧しくても、満ち足りていたに違いない、と思わせる存在感がある>、と。さらに、続けて、
<青森のぼろほどみごとなぼろはない。寒冷地の青森では綿花が育たず、とくに木綿の入手が困難だった農山村部では昭和初期まで麻布の生活が続いた歴史的背景があり、苛酷な気候風土や生活の困窮に反比例して、女性たちの家族への思い、布へのいつくしみが深く、ぼろに蓄積された手仕事と感情の度合いが圧倒的だからだ>、と説明にある。
そうか。昭和初期までか、青森では。

田中忠三郎、40年に渉るフィールドワークで集めた民俗資料、ボロっきれをはじめとして3万点になる、という。
いずれの分野にしろ、千の単位のコレクションなら、ままあることだ。しかし、万の単位のコレクション、これは凄い。半端なものじゃない。

田中忠三郎さん、このミュージアムの名誉館長である。
なお、このミュージアムのオーナーは、大手芸能プロダクション・アミューズの創業者にして代取会長の大里洋吉。大里も青森出身の男。郷土愛が強いんだ、きっと。今回の大震災に当たっても、社をあげての支援活動を行なっている。

肌着シャツ。
<メリヤスの肌着は温かく、肌に優しかったが、新品を買えない人々は古着や古布をつないでシャツを手作りした>、と説明にある。

ドンジャ。
<着物の形をした掛布団で、麻布を土台に古手木綿をつぎ足してあり、少しでも厚く温かくするために麻の屑を詰めて麻糸で刺し止めてある>、との説明。

これもドンジャ。
つぎはぎをしてあるのだが、赤系統の布々、とてもシック。

ドンジャのひとつを拡大した。
”麻の屑を詰めて麻糸で刺し止めてある”、という言葉そのまま。最果て青森を感じる。

これは何だったか、美しい。
作業着だったかもしれない。でも、晴れ着としたいようなモノもある。

ボドゴ。
<稲藁や枯れ草の上にボドゴを敷いて、家族5、6人が一緒になって寝た。冬はシラミが多く、着物を着て眠れないので、みな裸でドンジャを被って寝た>、と。

これもボドゴ。

ボドゴの一部を拡大する。
古布をはぎあわせてあるのであるが、とても嫋やかな感じがする。既視感もある。古い仲間・後藤亮子の描く絵のようだ。美しい。

足袋。
下北半島の老女が亡くなった時、大量の足袋が見つかったそうだ。子供用から大人用まで。このおばあさん、家族それぞれの人のために、足袋をいっぱい手作りしていたそうだ。青森だ。

この展示室の入口をもう一度。
これは学生服だったかな、と思うが、その風合い、なんとも言えない。青森は綿花が取れなく麻で云々、という言葉があったが、この麻の手触り何とも言えない。オッシャレー以外の言葉がない。
少しボケているが、中央上部を見てください。
写真撮影はもちろん、<展示物はすべてお手を触れていただけます>、と書いてある。
写真を撮ってもいいですよ、という所はある。しかし、いくら触ってくれてもかまいません、という所は初めてであった。

ボロっきれは美しい。
しかし、”ボロ”、”ぼろ”が、”BORO”になっていようとは知らなかった。でも、このマヌカンを見ると納得できる。