享受とリスク。

ここ何日か、高濃度の放射線物質で汚染された水が、海中へ流れ出ている。止めようとしたが止まらない。
”本当はいけないこと”だが、今まで溜めていたより低い濃度の汚染水を海中に放出し、そこへ高濃度の汚染水を入れる、という玉突きのような作業をしているようだ。手はない。次善の策。
枝野は、放射性物質の外部放出を食い止めるには、少なくともあと数カ月かかる、と言う。”数カ月”、確たる根拠のある数値ではないだろう。
電気なしでは、どうにもならない社会になっていた。電気があるのが、当たり前の社会になっていた。ついこの間までは、二酸化炭素の削減だ、地球温暖化防止に進まなきゃ、が合言葉になっていた。車もガソリンから電気へ、とシフトの度合いを強めていた。新しい住宅では、ガスも使わない。オール電化となっている。電気があるのが、当たり前だったんだ。
私たち、電気の恩恵を享受してきた。さほど深くは考えず。
その電気、化石燃料からは脱すべしが、世界潮流。総電力量のある程度のもの、原子力から作られていた。フランスの8割は別格としても、アメリカでは2割、日本では3割。原発で作られた電気を、私たちは、当たり前のものとして使っていた。
もちろん、原発のリスクを叫んでいる人はいた。しかし、多くの人は、そうは言っても、電気があること当たり前、それを享受していたことに違いはない。
学生時代の語学のクラス分けの組に、三陸沿岸に住む男が二人いる。八戸と一関に。震災翌日、電話をしたが通じない。その翌日、八戸の男に通じた。その八戸の男、こう話していた。
「ウチは八戸でも港からは大分離れているので、津波の被害は免れた。電気も止まっていたが、今日通じた。水道も止まっているので、トイレが不便だが」、なんてことも言っていたが、「その間ラジオを聴いていたが、電気が来てテレビを見て驚いた。テレビの画面を見て、こんな大災害だということが、初めて解かった」、と。
電気がなければ、その実態がつかめない時代になっていることは確か。リスクを伴う電気で。なお、その時には、一関の男には通じなかった。だがその後、別の級友から、あいつは大丈夫だ、とのメールがきた。
何カ月先か、何年先かは解からないが、今の事態が収まった時、いずれにしろ日本人は、ひとつの選択をしなければならないだろう。
リスクはあるが、電気の享受を求めるか、あらゆる面での3割ダウンを受け入れる、かの。