壁崩壊して20年。

晴れ。
丁度20年前の今日、1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。
米ソ、東西冷戦の象徴だった。それが、この日の夜、あっけないほど簡単に崩壊した。驚いた、その時は。
思えば、この年は、その後の世界秩序を、ガラッと変える基点となる年だった。それまでのソ連圏、東ヨーロッパで、次々と共産主義体制を覆す民主化革命が起こっていた。ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ついには、共産主義、社会主義の総本山・ソ連までが、その後、崩壊した。
その後の世界、アメリカ一国支配体制の大本、基点となる年となった。政治面ばかりでなく、経済面においても、あらゆる点で。
ベルリンでは、大規模な記念の式典が行われる、とのことだが、時差があり、今見ることはできない。メルケルはもちろん、ブラウン、サルコジ、メドベージェフ、の英仏ロ3首脳が出席、という。
アメリカからは、オバマが出られないので(先日の健康保険法案もギリギリの可決。頑迷な共和党相手の議会対策、また、アメリカ国内では大問題となっているらしい、フォートフッド基地での銃乱射事件の犠牲者追悼式にも出なければならず、オバマは国を離れられない)、ヒラリー・クリントンが出る模様。
ロシアからは、ゴルバチョフも出るらしい。たしかに、当時のソ連共産党の書記長・ゴルビーは、ベルリンの壁崩壊の立役者の一人である。彼なくしては、壁の崩壊は、ずっと後になっていただろうし、もし、ブレジネフならば、それこそ大量の血液が流されていたことだろう。
それはともかく、ベルリンは、東ドイツの中にポツンと取り残された孤島であった。
第二次大戦後、ドイツ自体は、米英仏ソの戦勝・連合国によって分割統治されたが、首都・ベルリンもまた、この4カ国によって分割統治された。西ベルリンは、米英仏の3カ国によって。東ベルリンは、ソ連によって。
だが、東西に経済格差が生じた。東から西への脱出者が増えた。それを防ぐ為に、1961年、東ドイツは壁を造った。西ベルリンをグルッととりまく約150キロに及ぶ壁を。
その2年後、1963年に西ベルリンに飛んだJFK、ケネディーの演説は、彼の大統領就任演説と並ぶ後世に残る名演説となった。「私は、ベルリン市民だ」、という言葉を、ベルリンの壁を見下ろす場所で吐いた。一方の雄、アメリカの大統領として、あなた方を、決して見捨てないぞ、という強い決意の表われた演説だった。
が、壁が築かれてから崩壊まで28年、壁を越えようとして殺された人は192人。捕まった人は3000人以上だという。そう言えば、その頃は、東側のビルの窓から、壁を飛び越え、西側へ飛び降りて脱出する映像などもあった。状況は少し異なるが、今の北朝鮮から韓国への脱北者と、基本的には、同じである。
そのベルリンの壁、今どうなっているのか、少し載せよう。2年近く前、一昨年の暮れにベルリンを訪れた時のものだが。

ブランデンブルク門からもそう遠くないポツダム広場の一角に、ベルリンの壁を切り取った展示場所がある。切り取った壁5、6面には、それぞれ、それが立てられていた場所の写真と共に、説明書きが付いている。ドイツ各地から来た人や観光客が、それをじっと見つめている。
ベルリンの壁は、冷戦時の負の遺産だが、この壁ばかりでなく、ドイツは、日本に較べ、戦争の負の遺産を、驚くほど真摯に表に出している。ナチスの行ったことを後世に伝えなければ、という意識は、特に強い。それを残す施設も、あちこちにある。

壁のひとつ。
エアー・スプレーは、どうも後でいたずら描きをしたもののようだが、それもそのまま残している。

こういう説明文が付いている。
心に留め置くこと。ベルリンの壁の記念碑。
「ベルリンの壁が崩壊した時、当然のことながらベルリンの人たちは、あんな胸くその悪いものなどぶっ壊してしまえ、と思った。しかし、早くも1991年には、ベルリンはこれらを記念碑として残すことを決め、1995年には、さらに古い壁の一部や東西の境界線にあった施設を加えた、保存リストを作った。今では、数百メートルに及ぶ壁や境界線の監視所を含めて、約25の記念碑がリストアップされている、云々」、といったことが書かれている。
より詳しくは、下の方に、ウェヴサイトのURLが記されているので、それをご覧ください。

少し離れた所には、ひとつだけ単独で立っている壁もあった。
後ろのビルは、ポツダム広場の名所のひとつ、2000年に竣工したソニー・センターの一部、ソニー・タワーである。ソニーの絶頂期に建てられた。
私は、14年前の1995年にも、ベルリンへ行っているが、その時のポツダム広場は、ただ、だだっ広い土地で何もなく、ここが再開発され、その目玉が日本のソニーが造るビル街だと聞いた。その後、世界のソニーは、ソニー・タワーを含むすごいビル街をベルリンのど真ん中に造った。
このソニー・センター、2年前、私が訪れた時には、ソニーの持ち物であったが、そのすぐ後、去年の初めに、モルガン・スタンレー・グループに売却された。その後の金融危機の後、モルガン・スタンレーからまた、別の企業グループに、売り渡されているかもしれないな、と今思う。
栄枯盛衰、世の習い。政治の世界ばかりじゃなく、経済の世界でも、年々大きく変わっていく。ベルリンの壁からは、少し外れたが、壁崩壊から20年、世界の変わりように、思うこと多い。
それはそれとして、すぐ隣り、朝鮮半島も未だ分断国家である。歴史の必然から見れば、北朝鮮の命運も、金正日のいる内であろう。おそらく、10年以内に北朝鮮は、崩壊するであろう。南北統一は成る。だが、それが安定するには、30年や40年はかかるんじゃないか。
なにしろ、ベルリンの壁崩壊から20年経った今でも、、旧東西の経済格差は、2倍以上と言われているんだから。時代錯誤なネオ・ナチの動きも、旧西よりも旧東での方が、多いということだから。まだ完全なる一体には、10年や20年はかかる。
理性のある国、ドイツにして然り。朝鮮半島の人たちも理性のある人たちではあろうが、まだまだ先は長い。
とりとめなくなったが、ベルリンの壁崩壊20年の日、こんなことを考えた。