ブータンも辛いな。

曇り、のち雨。
今日のブログは、お休み、と考えていたが、3日前に触れた国連の核軍縮決議の棄権国について、メールが来たので、それのみ記すこととする。
夕刻、古い友人のIから来たメールの、他の連絡事項のあとに、先日のブログの国連決議の棄権国、残りの3カ国は、キューバ、ミャンマー、そして、ブータンだ、とのことが記されていた。I君は、外国語堪能で外報に強い。国連のホームページでも見たのだろう。さすがだ。
それはともかく、3日前、キューバ、ミャンマーまでは、あり得るな、とは思ったが、ブータンまでは、思い至らなかった。言われて初めて、なるほど、そう言われるとそうだな、と思った。
ブータンは、世界で唯一チベット仏教を国教としている国である。昨年、憲法を公布、絶対君主国から立憲君主国になった。いってみれば、去年、日本の明治維新を迎えたような国である。”ゴー”という日本の”どてら”のような民族衣装で思いだす方も多いだろう。オリンピックの開会式には、この衣装で行進している映像を。
それよりも、GNH(国民総幸福量)という概念を言いだした国として、ああそう言えば、と思う人もいるだろう。GNPとかGDPとかという、富というか生産量というかの多寡でなく、国民の幸福量、幸福度の多寡が大事だ、という考え方。何となく、ホンワカとした感じもあり、スローライフなんて言葉に弱い連中の中には、ブータンに行く人や行きたいと思っている人が案外いる。
そのブータンが、何故、核廃絶をめざそうという国連の決議に棄権するのか。深いワケがあるんだ。地政学的な。
ブータンは、もちろんのこと、独立国である。だが、外交面では、インドの助言を受けている国でもある。つまり、インドの保護国、ともいえる国である。インドが反対した決議には、棄権ということで対応しているんだ。対応せざるを得ないというのが、正確だろうが。インドに気を遣わざるを得ないんだ。何故か。
以前、ブータンの隣りにシッキムという国があった。シッキムは、四方を、ブータンとインドとネパールと中国に囲まれた王国であった。もちろん、絶対君主制、封建王制の国である。シッキムは、インドと中国に狙われていた。そして、そのシッキムは、いつの間にやら無くなった。
シッキムの王家自体も酷いものではあったようだが、シッキムは、1975年インド軍が進駐、インドに併合された。もちろん、シッキムからの要請によって、との表向きの理由はつけられた上ではあるが。ブータンは、このシッキムのことが、常に頭にあるんだ。だから、インドの意向には、逆らえない。そう思うな、私は。
中国のチベット併合は、今日でも大問題で中国のアキレス腱のひとつだが、今ではほとんど忘れられている、シッキムのインドへの併合も、その後遺症が、3日前の国連決議にも影を落としている。面白いといえば面白いが。
シッキムやブータンに較べては大きな国であるネパールでも、いつか、こんな話を聞いた。インドは、オレは兄貴分なんだからといって、なんだかんだ言ってくる。中国は、余計なことまで、なんだかんだ世話を焼いてくる。迷惑なんだ。しかし、ネパールは、インドと中国という二つの大きな岩に挟まれたやわらかい○○だから、仕方ない。そう自嘲ぎみに言っていた。この○○は、何だったか忘れたが、笑いながら言っていたのは憶えている。
3日前の国連決議に棄権したブータンもそうであろう。今の世界、つい忘れがちになるが、100年前の力の論理が生きている地域は、この地上にまだ多くある。
故あり、今日のブログは書かない、お休み、と思っていたが、I君からのメールが来たので、つい書いた。