セミ、再び。

曇り。
なんていうことだ。なんて理不尽な、と思った。何故だ、と思った。昨日のブログ、消えてしまった。
セミの写真をいっぱい入れたんだ。それを、一度に更新したんだ。しかし、いつもはすぐに更新されるものが、なかなか出てこない。10分経っても出てこない。15分待っても出てこない。ウンともスンとも言わない状態が続く。一回に更新できるキャパを超えていたんだ、と思われる。おそらく。
しかし、それならそれで、「キャパを超えてる。更新できず。写真減らせ」、とでもいう注意書きを出してくれてもいいんじゃないか。それもなくて、ウンともスンとも言わないのは、そりゃないだろう、と思う。このブログの運営サイトの何処かには、一回に更新できるものはこれこれ、なんて詳細説明があるのだろうが、そんなもの普通は読むか。虫眼鏡でも読めないような保険の約款と同じじゃないか。
その内ジレてきて、幾つか他のボタンをクリックした。あれま、打ったものみんな消えてしまった。無くなった。
こんな繰り言、いくら言ってもはじまらないし、直接的には私の操作ミスだし、なにより、癪だし、もう一度、昨日のセミの写真をやってみよう。今度は、更新を何回かに分けて。文章は、ところどころ昨日打ったものとは異なるだろうが、それはそれでよし。
昨日の夕刻、セミの写真を撮るために、近所の公園に行った。以前から生えていた樹木をそのまま残して造ったな、と思われる公園で、セミの鳴き声は喧しいが、時間も時間なので、セミ捕りの小学生坊主もいない。


実は、半月ほど前にもセミの写真を撮るために、この公園へ行ったのだが、ジィージィー、ギィーギィーという声は聞こえるのだが、その姿を見ることはできなかった。
昨日は、いた。
案外すぐ目の前の低いところにもいる。半月前には、声のする高いところばかり見ていたんだ。ほとんどは、胴も羽も褐色のごく普通のアブラゼミだ、と思われるセミばかりだけれども。

よく見ると、左の幹に6匹、右の幹に3匹いる。

股になった両側の幹の内側に、1匹ずついる。

分かりづらいが、2匹とまっている。よく見ると、上の方にも2匹いる。

逃げられてもいけない、と思いながら、近づいてみる。それにしても、写りが良くないな。わたしのデジカメは大分古く、その当時は高性能であったが、今では低性能。手ぶれ補正なんて機能など付いてないだろう、たぶん。説明書、よく読んでいないが。それ以前に、腕の問題があるか。

タテに、2匹とまっている。
次の2枚は、1匹ずつ。
しかし、こんな碌でもない写真を何枚も、それも、珍しいものならいざ知らず、日本中どこにでもいるごく普通のアブラゼミばっかり、何か意味でもあるのか、と考える。
考えてみたが、特に意味などないな。丁度、小学生坊主が、20匹も30匹も、中には、4〜50匹も捕っているのと同じだな。違いと言えば、坊主連中は、網で捕っているが、ジジイの私は、ただ見ているだけ、ということぐらい。
同じといえば同じ、違うといえば違う。それにしても、こんなに多くのセミを見たのは50年ぶりぐらい、いや、60年近くになるんじゃないか、と思う。坊主連中と同じく、単純なことなんだ。それでいい。



昨日撮った中では、貴重な羽の透きとおったセミ。写りの良くないことなど、目をつぶる。クマゼミかな。
日本には、30種以上のセミがいるそうだが、私が知っている名は、アブラゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ(ひと月ほど前のブログに記した、山寺での芭蕉の句「閑さや岩にしみ入蝉の声」の斎藤茂吉と小宮豊隆のセミ論争。ニイニイゼミ説の小宮に軍配があがった、あのニイニイゼミ)、ツクツクホウシ、そして、ヒグラシくらい。
この中、アブラゼミとニイニイゼミを除く他は、体の大きさに多少の違いがあるものの、羽が透きとおっているセミの模様。さらに、鳴き声も鳴く時間も異なるようだが、細かいことなどよく解らない私は、褐色の羽のセミは、まあアブラゼミ、透きとおった羽のセミは、まあクマゼミ、としている。
非常に大雑把な区分けであることは、重々承知の上だが、まあ、よかろう、としてるんだ。続けよう。

左方、細い枝にセミの抜け殼が幾つか、右の幹にセミが3匹ならぶ。
抜け殼、空蝉。現人、現世。古人は、人のこと、この世のことを、セミの抜け殼に重ねたんだな。
7年だか、10年だか、土中にいて、地上に出た後は、1週間か、2週間か、3週間か、いずれにしろ、短い時間を鳴き暮らし、死んでいく、その一生を想ったんだ。美しくも、物哀しくもある抜け殼と、人の命、人の世を重ねて。続けよう。

葉に、抜け殼が4つ。

枝にも抜け殼。

太い木の下に、しがみついている抜け殼もあったな。

公園からの帰途、コンクリの道にセミの死骸があった。
彼は、長くて、短かくもあった一生を終わったんだ。コンクリの上だから、すぐにアリに運ばれて、食われるのかもしれないが、たとえ食われたとしても、いずれ何らかの形で土中に帰る。卵ではない形ではあるが、まあ、似たようなもの、と思えなくもない。
そういえば、公園で、すぐ目の前の低いところにとまっていたセミを、何匹か指でつついてみた。なにかノンビリしてそうな感じがしたので。それで、解った。低いところにとまっているセミは、弱っているんだ。セミは、鋭く飛ぶイメージがあったのだが、低いところにとまっているセミは、鈍角的な飛び方をするんだ。なんとなく、物哀しい飛び方だった。
中の1匹は、ヒョイとつついても飛び立たない。もう一度つつくと、ポトリと落ちた。彼は、木の幹にとまりつつ、死したんだな。
即身成仏をするセミを、初めて知った。