風太郎選「昭和の番付」。

晴れ。
忍法帖シリーズの人気作家であった山田風太郎は、軽ろみのあるエッセイの名手でもあった。ユーモアあふれる文章の中に、深い洞察を含み、時には、諧謔の裏に毒をも忍ばせていた。
「いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う」ということで、平成6年10月から、途中中断はあるものの2年余の間、朝日新聞に『あと千回の晩飯』というコラムを書いているが、千回どころか、二千五百回くらいの晩飯を食って、平成13年、79歳で死んだ。あの大谷崎潤一郎と同じ歳まで生きて。
単行本になった『あと千回の晩飯』には、同じ頃、産経新聞に連載していたコラム『あの世の辻から』も同載されているが、その中に「昭和の番付」という一文があり、山田がいくつかのジャンルの昭和の番付を作っている。こういうくだりがある。
「いっとき日本を亡国の運命に追いこんだめんめんをあげてみる」、と記して、番付を作る。
「東條大将よりも、近衛公のほうの責任が重大だ」、「日中戦争が始まったときから太平洋戦争開始の直前まで、断続的ながら首相の地位にあり、その間に日米関係をのっぴきならぬ羽目におとしてしまった近衛の無能は、第二の戦争責任者と評してさしつかえない」。
「第四番はやはり、ねじり鉢巻で清水の舞台から飛んだ東條が引き受けるほかあるまい」。
「いや待て、とり逃がしてはいけない人物があった。第三番といっていい責任者だ。石原莞爾である」、「日中戦争なかりせば太平洋戦争はなく、満洲事変なかりせば日中戦争はなかった。その満洲事変を計画し、・・・当時関東軍参謀であった石原莞爾であったのだ。十五年戦争の序幕はかれによってひらかれたのである」。
「五番目は、ミッドウェー作戦で4隻の空母を擁しながら、二隻の空母しか持たないアメリカ艦隊に、もののみごとにしてやられた山本五十六ということになるだろう」。
「石原も山本も快男児の一面を持つだけに、これを槍玉にあげるのは心痛むが、歴史の裁きは厳粛である」、と記し、続けて、
「六番目はーーーいや、それよりも一番目はどこへいった?」と記す。
山田は、この「日本を亡国の運命に追いこんだめんめん」の番付の前に、「敗戦後の日本再起の第二の立役者はだれだろう」と記し、「それが宰相吉田茂であることに、まあ異論はあるまい。かれは老妓のごとくマッカーサーをあやなした」、「天はあの大敗戦にあたって、日本によくこういう人物を残しておいてくれたものだと感心する」。
「第三の殊勲者は、私の実感からすれば、水泳の古橋広之進であった」。
「第四位以下には、日本を経済大国におしあげた経済人、産業人をあげるべきだろうが、だれが適当か、そのほうに暗い私にはよくわからない」、と記し、続けて、
「おや、第一の立役者はどこへいった?」と書いている。
伏線を張っているんだ。ズルイんだ。山田は。確かに、山田風太郎は、一筋縄ではいかないジイさんではあったが、一般には対極にあると言われている朝日と産経(私は、さほどとも思はないが)に同時期に同じようなコラムを書くことも含め、ズルイと言えばズルイんだ。
山田が、彼の「昭和の番付」の中で、第一位を記しているのは、昭和の美女番付のみ。
「さて、私による昭和の美女第一位は」と記し、「美智子皇后」と続ける。山田は、このあと二位以下に何人かの女優の名をあげているのだが、私には、一位の美智子皇后以外には首肯できない名がならぶ。
少し横道にそれるが、美智子皇后に関しては、美女番付などという恐れ多いことばかりでなく、昭和の知性、昭和の嫁、昭和の母親、より広く言えば、昭和の女性として第一位にくるお方だ、と私は思っている。
山田風太郎の毒が隠されたコラムからは、少し横道にそれた。
それにしても、ここ何日か昭和の戦争がらみばっかりだったな、オレのブログは。
金大中の葬儀が、朴正煕以来の国葬になることが決まったな。5回も国家から殺されそうになった男には、国葬になる資格がある、と私は思う。殺そうとした男と、殺されかけた男が、国家から同じ扱いを受ける。時代の皮肉、時の経過のおもしろさだな。