46〜47年前。

晴れ、一時小雨。
マース・カニングハムが死んだ。もっと若いと思っていたが、90歳。ニュー・ヨークの自宅で、老衰で。大往生だったんだ。
たしか1962〜3年ごろ、46〜7年ぐらい前だったと思うが、「チャンス・オペレーション」の前衛作曲家・ジョン・ケージと当時日の出の勢いのポップ・アートの旗手・ロバート・ラウシェンバーグが日本へ来た。アメリカの最先端の文化をひっさげて。
勅使河原蒼風が赤坂に創った草月会館のホールは、そのころ前衛芸術の発信地のひとつだった。その草月ホールで、ジョン・ケージとラウシェンバーグの公演が行われた。コラボなどという言葉はまだなかったが、今でいうコラボレーションだ。その場に、やはり前衛舞踊の旗手として知られたマース・カニングハムもいたように思う。半世紀近くも前のことで、記憶がちょっとあやふやなのだが、後の日本音楽界の巨匠、一柳慧、黛敏郎、武満徹などの先端を走る音楽家たちも出ていたような気がする。
ジョン・ケージが指揮をし、ラウシェンバーグが100号か200号ぐらいのカンバスに向かって色を塗り、カニングハムが踊り、一柳や黛や武満がピアノか何かを演奏していたのではなかったか、と思うのだが、今思い出そうとしても、判然としない。
ただ、ジョン・ケージが、竿竹のような長い棒の真ん中あたりを両手で持ち、それをゆっくりと動かしていた指揮ぶりは、よく憶えている。
なにしろ、ジョン・ケージの「チャンス・オペレーション」と呼ばれていた音楽自体、日本では、「偶然性の音楽」とか「不確実性の音楽」とか言われていたが、ま、いわゆる普通の音楽とは全く異なるもの。はっきり言って、ごく一部の人を除いては、何が何やらよく解らぬもの。でも、それが最先端の「前衛」だ、すごい、と会場の皆は感じていたんだ。私も。
ジョン・ケージばかりでなく、舞台に出ている全ての人は、皆それぞれのジャンルの「前衛」ばかりなんだもの。これが解らないなんてことは、思えなかったんだ。いや、理解できないなんて、自分自身に対して許せなかったんだ。背伸びしてたんだな。若かったんだな、半世紀近くも昔だものな。でも、おもしろかった。
知らなかったが、カニングハムは、2005年に功成り名遂げた芸術家が選ばれる「高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞しているそうだ。レジオン・ド・ヌール勲章も受けているし、「前衛」は、晩年に至り、認められたんだ。
思えば、半世紀近き前、ヨーロッパの時代は終わりを告げ、なんでも新しい文化はアメリカからもたらされる時代となっていた。芸術の分野でも。絵も踊りも音楽も。反米にして、アメリカ大好きの時代であった。
今日、中国の外交担当の国務委員が、150人もの大デレゲーションを引き連れ、ワシントンに乗り込んだという。
オバマは、孟子の言葉を引用した挨拶で、クリントンは、孔子の言葉を引用した挨拶で、戴何々という中国の国務委員を迎え、会談の場には、財務長官のガイトナー、国家経済会議議長のサマーズ、さらには、FRB議長のバーナンキという、アメリカ経済政策決定のトップレベルのオールスター・キャスト、豪華な顔ぶれが出席したという。まさに、G2時代幕開けの象徴だな。
半世紀近く前の中国は、天安門前の長安街には自転車が走り、人民服を着た人ばかり、南の国である中国が、いずれ北の国になるとは思っていたが、まさか、半世紀近く後、米国債を最も多く保有し、アメリカの命運を左右する国になるとは、正直言って思っていなかった。アメリカの時代だったものな。46〜7年前は。