荷風の世界。

夜来の雨降り続く。日中細雨。
たしか、「お願い、入れてって。そこまで」と、お雪が大江の傘の中に駆け込んできたのは、この時季じゃなかったかな。夕方、急に雨が降り出して。そうだ梅雨時だった。大江が初めてお雪に会ったのは。
『ぼく東綺譚』探す。それにしても、ブログのソフトで、「ぼく」の字が打てないのは仕方ないとしても、IMEパッドまで使えないとは。この字を世に出した・林述斎や成嶋柳北(このこと、もちろん、奥野信太郎の孫挽き。彼らの名前はかろうじて知っているが、このお二人が「ぼく」の字や「ぼく東」の言葉にかかわっていることなど、愚鈍な私が知っているわけがない)は泣くだろう。嘆くだろう。そもそも日本文化を軽視してるんだな、ソフトというやつは。仕方ない。まあいいとしよう。
何日か前、手探りでブログを始めた折、梅雨時だから何か雨に因んだものでもと思い、そうだ、芭蕉の『五月雨の・・・』がちょうどこのころだな、と思って、この2〜3日、芭蕉と曾良のおっかけをやってきた。しかし、これは別に俳句のブログじゃないし、何でもいいんだ。文字どおりの『雑録』なんだから。
それに、320年前のこの日の東北は大雨で、芭蕉と曾良のお二人は動くに動けず、終日、堺田の宿に閉じこめられていたんだから。(曾良『旅日記』) だから、『細道』は、お休み。
久し振りだな、『ぼく東綺譚』(ウーン、癪だな。『ぼく東・・』としか打てないなんて。荷風先生に怒られちゃうよ)を読むのは。ま、何十年ぶりだろう。
や、初めのほうに、<六月末の或夕方である。梅雨はまだ明けてはゐないが・・・>、とある。しまった。遅れた。『細道』のおっかけにかまけて、気がつくのが2〜3日遅かった。まあいいか。まだ梅雨だから。
大江とお雪が初めて会ったときの科白も違うな。
<・・・いきなり後方から、「檀那、そこまで入れてってよ。」といひさま、傘の下に眞白な首を突込んだ女がある。油の匂で結ったばかりと知られる大きな潰し島田には長目に切った銀糸をかけてゐる。・・・「すみません。すぐそこです。」と女は傘の柄につかまり、片手に浴衣の裾を思ふさままくり上げた。>
それにしても打ちづらいな。朝日新聞に昭和12年に連載したものというから、70年以上も前、今とは仮名遣いも送りも異なる。しかも、他の人ならいざ知らず、永井荷風の書いたものを間違えて打つわけにはいかないから、余計に気を遣う。それはともかく。
そうして、梅雨時に会ったこの小説の主人公、小説家の大江匡と玉の井の娼婦・お雪は懇ろになる。大江58歳、お雪は26。その時、大江は『失踪』と題する小説を書いている。その主人公は、英語教師を辞めた種田順平と浅草駒形町のカフェーの女給・すみ子。種田51歳、すみ子は24。ついでながら、この時、作者の荷風は大江と同年の58才。当然のことながら、大江は作者・荷風の投影であり、種田は作中の作者・大江の投影。つまり、この3人は同じ男といってよい。
それはともかく。この二つの物語が、入れ子というか並行して進行する。その点、『海辺のカフカ』と似てるな。構成や話の進み方が。いや、だいぶ違うか、文体も違えば何もかも。時代も違えば主人公の負っている境遇も。それより、「あんな奴とオレを一緒にしてくれるな」 と5年後にはノーベル賞を受けるであろう村上春樹と和漢洋の学に通徹した荷風のご両所から、ともに怒られるだろうが。
しかし、少し寄り道をするようだが、このお二人、もちろん、まったく異なる文学世界なのだが、なにか、どこか、似ているような気がしてならない。共に、煩わしい世を離れ、ほかのやつらが何をいおうと、自らの思う世界に沈潜している物書きである。自らの表現、行動、さらに突きつめれば「思う美」に強烈な自信を持っている。いってみれば、共に強固な「私リアリスト」(こんな言葉、あったかな。ま、なくてもかまやしないが。勝手に造りゃいいんだから) といえるな。おそらく、共に長い欧米世界での生活体験にもよるのだろうが。
それにしても、ブログというものは、鉛筆やペンで書くのと違ってただキーを打つだけだから、指を使うのは同じだがあまり考えない。思いつくまま気の向くまま、勝手に進んでいっちゃうな。書くというより、話しているのと同じなんだな。すぐ横道にそれてしまう。ズルズルといくらでも、あちこち話が飛んでしまう。ブログの訳語は何と云うのか知らないが、東日本なら「おしゃべり」、西日本なら「しゃべくり」とでもすればいいんじゃないか。
そんなことより、雨。雨から始まったブログだもの。今時分、梅雨の頃から始まったこの荷風の哀しく切ない作品は、やはり、湿ったこの時季である必然性がある。雨の季節の。会って別れるまで三月ちょっとの物語なんだけど。
<「いまに夕立が来さうだな。」「あなた。髪結さんの帰り・・・もう三月になるわネヱ。」わたくしの耳にはこの「三月になるわネヱ。」と少し引延ばしたネヱの聲が何やら遠いむかしを思返すとでも云ふやうに無限の情を含んだやうに聞きなされた。・・・わたくしは「さう・・・。」と答へかけた言葉さへ飲み込んでしまって、唯目容で應答をした。>
切ない。哀しい。その少し前には、<わたし、借金を返してしまったら。あなた、おかみさんにしてくれない>、ともお雪はいっている。哀切きわまりない。
<その夜、お雪が窓口で言った言葉から、わたくしの切ない気持はいよいよ切なくなった。>いかに永年紅灯の巷を彷徨った手錬の「私リアリスト」の荷風、いや違った、大江だ。しかし、大江は荷風の分身なんだから、どちらでもいい、といえばどちらでもいいんだが、その大江も、こう思うようになる。しかし、それに続けて<今はこれを避けるためには、重ねてその顔を見ないに越したことはない。まだ、今のうちならば、それほど深い悲しみと失望とをお雪の胸に與へずとも済むであらう。>と大江は思う。手錬の「私リアリスト」の大江、すなわち荷風だもの。
<四五日過ると季節は彼岸に入った。空模様は俄に變つて、・・・大粒の雨は礫を打つやうに降り注いでは忽ちやむ。夜を徹して小息みもなくふりつづくこともあった。> ころ、この哀しく切ない物語は終わる。
手前勝手な男といえば、そうもいえるが、そうではない。女(女性と記すより、やはり女と記すべきだろう)に対する慈しみ、愛しさがそこここに感じられる。己を、己のことをよく知る、自らの内実を冷徹に見つめられる「私リアリスト」である荷風であるからしか描けない物語、荷風の世界だな。雨の夜にはふさわしい。
長いブログになっちゃたな。長くなったついでにあとひとつ。
本棚の隅から引っぱりだしたこの本、昭和25年、六興出版社発行。今でもあるのかなこの出版社。それはともかく、60年も経っていると、直接陽に当たっていた訳ではないのに、黄ばみどころか茶色っぽくなっている。読み返しているうちに裏表紙がはずれてしまった。60年前というよりも、終戦後まだ5年、製本技術も今とはずいぶん違う。
なお、木村荘八の手になる口絵が一葉付いている。大江とお雪が初めて会ったあの夕立ちの場面。趣があり、とてもよい。
また、奥付には、永井と楕円形の検印が押されている。そういや、奥付の検印、何時頃からなくなったのかな。コンピュータが出てきてからかな。いや、もっと前だな。まあいいや。そんなことまでかかわずらっていると、終わらなくなっちゃう。