昭和20年(1945年)の日本敗戦まで、稚内と樺太の大泊(コルサコフ)の間には定期連絡船があった。「稚泊航路」である。 稚内の連絡船発着所として造られたのが、今、稚内港北防波堤と呼ばれているアーチ型構造物である。通称「ドーム」。これがカッコ…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。