岩手あちこち(5) 遠野(『遠野物語』)。

<此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折折訪ね来り此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるまヽを書きたり。・・・・・>、で始まる柳田國男著『遠野物語』の「初版序文」、よほどのへそ曲がりでない限り参るであろう。
第1話の冒頭、<遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取囲まれたる平地なり。・・・・・>で始まる文章も凄いが、序文の文章も凄い。

何気ない、と言えば何気ない。自然な流れ、と言えばそうとも言える。そうは言えるが、とても研ぎ澄まされた文章である。これを名文と言わずして何とする、という名文。

柳田國男が早稲田の学生である佐々木喜善に始めて会ったのは、明治41年(1908年)11月4日。やはり早稲田出の水野葉舟が、佐々木を柳田のところへ連れてきた。
柳翁宿にあったこの展示物でいえば、右は柳田國男、左は水野葉舟、真ん中の男が佐々木喜善であろう。佐々木喜善、故郷・遠野の物語を話す。
なお、『遠野物語』の「初版序文」の冒頭にある”佐々木鏡石君”は、佐々木喜善のこと。<当時、佐々木は泉鏡花を崇拝して鏡石と号する文学青年であった>、と1972年に大和書房から刊行された柳田國男著『遠野物語』(『遠野物語』は、幾つもの文庫本も出ているが、今は、40年前の趣きのあるこの書を使っている)の解説に谷川健一は書いている。
この書の谷川健一は、こうも書く。<明治42年の2月頃から佐々木の話を書きとめ、8月の23日から31日まで東北旅行をこころみた折、柳田ははじめて遠野をおとずれた。そこで彼は『遠野古事記』をみた。『遠野物語』は43年6月、350部が出版された>、と。

右上は柳田國男、左下は佐々木喜善。
”遠野物語”を研究している人は多くいる。石井正巳もそのひとり。石井正巳の著『「遠野物語」を読み解く』(2009年、平凡社新書)には、初版350部についてのこういう記述がある。昭和14年の柳田國男の記述を引用したもの。こう書いている。
<此本の出版はたしかに企業であった。・・・・・恐ろ恐る五十銭といふ定価を付けて見た。知友に頒つのは二百部でも十分なのを、思ひ切って三百五十部刷らせて見た。・・・・・>、と。自費出版なんだ。それも、200部でもいいところを思いきって350部を刷ったんだ。
石井の書には、柳田國男がこの書を贈呈した宛先が記されている。
第1号は、佐々木喜善だ。「御初穂は佐々木君に 國男」、と記し。第2号は、柳田國男。「自用」として。第6号は、松岡鼎。柳田の兄貴。以下、早稲田大学図書館、帝国図書館(今の国会図書館であろう)などがあがっている。さらに、<この人たちにも贈呈されたはずですが>、として、島崎藤村、田山花袋、泉鏡花などの名が記されている。
初版を購入した人の名前も解かっている人がいる。こういう人たち。
ニコライ・ネフスキー、芥川龍之介、南方熊楠、周作人、その他。明治末、一部ではあろうが、注目されていたことには違いない。
柳田國男の『遠野物語』、研究書、また、リスペクトされたものも含め、関連書は数多い。が、今日は眠くなった。続きは明日にしよう。