驚く。

昨日の朝日朝刊の「寂聴 残された日々」は、<今年の正月で、私は数え百歳になった。>と書き出される。タイトルは「67 数え百歳の正月に」。
月に一度の掲載だから、「67」ということは5年以上5年半ほどになる。瀬戸内寂聴、5年半ほど前、94、5歳の頃、「残された日々」を思ったのだろう。
初の瀬戸内寂聴は、1965年の『美は乱調にあり』であった。「美は諧調にあらず、ただ乱調にあり」、大杉栄と共に虐殺された伊藤野枝を描いた作。
54、5年前、まだ瀬戸内晴美の頃。どうして1965年だと憶えているかというと、この頃結核が再発、大学を休学し結核療養所に入院していたからである。病院のベッドの上で読んだ。
ところで、このところの「残された日々」の寂聴さん、毎月のように「数え百歳、数え百歳」と記しているような気がする。寂聴さんが「数え百歳」となるのは、「ああ、そうですね」と思うのみだが、実は・・・
私は、間もなく満80歳となる。ウンッ、瀬戸内寂聴とオレは19か20しか離れていないのか、ということに驚く。
私は瀬戸内寂聴のいい読者ではないが、54、5年前からずっと後ろを歩いてきた思いがある。それが気がつくと、たった19か20しか年上でないことに、改めて驚く。


半藤一利を悼む声があちこちに見られる。
大きな人であった。
司馬遼太郎は「日本人の先生」と呼ばれたが、半藤一利も「日本人の先生」であったのではないか。


トランプ、アメリカ下院で弾劾訴追された。「反乱の扇動」。退任後、上院での弾劾裁判が待っている。