年の瀬(続き)。

昨日までの3夜連続、NHKBSでコッポラの『ゴッドファーザー』パート1からパート3までが流された。3作合計約9時間。久しぶりで観て堪能した。
で、昨日は何人かの人からのメールにも返信もせず、再開したブログも休んだ。
1901年、シチリアを逃れ9歳でニューヨークへ渡ったヴィトー・コルレオーネ、ドン・コレレオーネとなっていく。マーロン・ブランドの押し潰した声が堪らない。
パート2で若き日のヴィトー・コルレオーネに扮したロバート・デ・ニーロ、そしてパート1からパート3を通しヴィトーの後のドン・コルネオーレとなったマイケル・コレレオーネに扮したアル・パチーノの演技に酔った。


時折り具合悪くなってしまったり、ものが食えなくなってしまったりということがあるが、実は、今年は私にとって意味深い年になるはずであった。
79歳となったからである。
私の指標としている山田風太郎が死んだ79歳と同年となるからであった。
ほどよい歳なんだ。
3年前、肺炎で10日間入院した。2年前にはやはり肺炎で12日間入院した。昨年は入院はしなかったが、何度か具合が悪くなった。今年も入院はしていないが、やはり何度か具合悪くなった。
何となしに「そのような兆候」を感じた山田風太郎は、平成6年、72歳の時に『あと千回の晩飯』を書き始める。が、風太郎先生は千回どころか2500回も晩飯を食って79歳でおさらばした。約4年もおまけがついた。
風太郎先生から遅れること4年、2017年3月、76歳で「私の『あと千回の晩飯』」考を記した。肺炎で入院した後だったような覚えがある。
その千回が今年、79歳でと考えていたのだが過ぎていってしまった。
もっとも風太郎先生は、毎食ウイスキーボトル1/3にご馳走を食っていたのだが、私はご馳走どころか飯を食っていないのだから、まだ実質千回になってないのかもしれないが。
ここまで記して気がついた。どうもオレは禄でもないことを記しているのではないか、ということに。どうも、そうだ。この件は打ち切る。


暫らく前、ピエール・カルダンを追った映画について記した。一生現役、100近くなっても、と。
そのカルダン、死んだ。享年98。


大晦日、フジの格闘技RIZIN、去年の大晦日にはプライベートジェットできたフロイド・メイウェザーにパンチ一発で沈んだ那須川天心、今日はムエタイの実力者を下していた。
大体去年のメイウェザーとの一戦がおかしかった。メイウェザー、2分少しで10億円のファイトマネーを持って帰った。実質上は出演料・ギャラだった。
今年のタイから来たムエタイの選手のファイトマネーはメイウェザーの千分の1にいくかどうかであろう。


途中からNHK紅白歌合戦を見た。何年ぶりかずいぶん久しぶり。
司会者や出てくる人が皆さんおしなべて「感動した」と言っているのに驚いた。
あれのどこが感動なんだ。一体全体「感動」って何なんだって考えたな。


新型コロナの今日の東京の感染者は1300人余、全国では4500人余らしい。
ひと月ほど前何かの折りに、その内東京の感染者は1日1000人を超え、全国では3、4000どころか5000人を超えるだろう、と記した。
私ばかりでなく誰でも分かることである。
分からないのは菅義偉とその取り巻きの連中のみ。
何で菅なんかが出てきたんだろう。二階の責任だな。
暫らく前の古い友人のメールに、トランプのことを聞かなくてよかったなと思っていたら、<日本ではもっと見たくない死んだ魚の眼が出てきて困っている>という一節があった。
確認したワケではないが、この<死んだ魚の眼>は菅義偉のことであろう。確かに言い得て妙。
早く退場してほしい。