金子文子と朴烈。

7年前、2013年の「流山子雑録」で、紀伊熊野の新宮で大逆事件に連座し処刑された大石誠之助たちの顕彰碑を訪れた模様を記した。
明治43年(1910)の幸徳秋水を初めとする大逆事件に、熊野でも大石誠之助たち6人が死刑や無期懲役に処せられた。今ではフレームアップであると分かっているが。
大逆罪、天皇、三后、皇太子に対し危害を加えんとした者は死刑に処す、というもの。三后とは、大皇太后、皇太后、皇后のこと。
現在では大逆罪はない。日本が戦争に負けた後、なくなった。
それまで大逆事件は4つあった。
1910年の幸徳事件。明治天皇を狙ったという大逆事件。幸徳秋水たちが捕えられ処刑された。私が見た熊野の地でも大石誠之助たちが。
1923年の難波大助による虎ノ門事件。
1925年の朴烈事件。
1932年の桜田門事件。
本作は、そのひとつ関東大震災前の1923年の東京でのアナーキスト・朴烈と金子文子の物語を紡いでいる。
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『金子文子と朴烈』、監督:イ・ジュニク。韓国映画である。韓国では235万人が見たそうだ。
朝鮮人の朴烈(イ・ジェフン)と日本人の金子文子(チェ・ヒソ)。関東大震災の後、捕えられ、大逆罪とされていく。
韓国映画であるが、心広い作品である。反日の気配などない。むしろ、金子文子の生きざまが凄い。
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大逆事件で逮捕された朴烈と金子文子。
金子文子、こう語る。
「朴烈と一緒に死ねるなら満足しよう」、と。
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金子文子は、栃木女子刑務所で自死した模様。
いやー。強い女性であった。
朴烈は、日本敗戦後釈放され、幾つもの思想変遷を繰り返していたようだ。
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金子文子の心根が凄い。
命など、いつ捨ててもいい、という。